娘が幼稚園の頃、私が少しまともに送迎できるようになった年中さんのときに、とあるお母様と出会いました。
主人の仕事の大先輩の奥様でした。
年中時の運動会の時にその事実を知りまして、もう完全に思考が停止するわけです。どういうことかと。こんなところで何かそうした関係の方に出会うとは露にも思っておりませんで、とにかく本当に驚きました。しかも入園から1年半も気づかないとは無礼の極み!
ぼんやりのんびり過ごすつもりでしたので、まさかの!白い巨塔ここに!みたいな、もう計算外というか想定外というか、とにかくどうしたらいいのかと、体は微動だにせず、頭の中では大運動会が繰り広げられているような、そんな感じでした。
もう運動会は終わっていて、片付けの最中に主人が気づいたので慌ててご挨拶にと、そんな流れになりました。
綺麗な奥様で、持ち物もかわいらしくて、もう私とは違う感じなんですね。あーいう方こそお医者さんの妻なのよ、とパパにポーッとしながら話しました。
しかしですね!くだらないとお思いでしょうが、白い巨塔ですよ!白い巨塔!
見た目に騙されている場合ではありません!(いや、誰も騙していませんけれども)
私はそもそも医療界も知りませんし、さらにその上下関係の厳しさは全く知りません。主人もその出世街道からはとっくに道を外していたのでそうした生活からは無縁だったんですね。紅会ならぬ奥様会など、もちろん存在すら知りません。どうしよう、世間知らずの厚顔無恥で、しかもこの見すぼらしい外見で、失礼をする以外に方法がない気がする。そりゃそりゃもう、頭の中はドラが鳴りまくりでした。
私なりに精一杯おしとやかに、とにかく失礼のないようにご挨拶した、ような気がします。
と、その場は衝撃も相まって頭の中は大騒ぎでしたが、かと言って何ができるわけでもありません。
奥様もこんな下々の者をかまっている余裕などないでしょうから、静かに暮らしていればなんの影響もないと思いました。その「静かに」というのは家庭内では実現できない生活なんですけれども、幼稚園にまで影響するほどの騒がしい人間ではないと思っていたので、とりあえずあまり気にしすぎないでいようと思っていました。
その後、どういう経緯だったかすっかり記憶が抜け落ちていて、本当に申し訳ないことなのですが。なんと今でも非常に仲良くさせてもらっています。
仲良く、と言うのもちょっと自分の交友関係の辞書にはない状況です。
まがいなりしも人生の先輩であるにもかかわらず、紆余曲折ありましたが「ちゃん」づけで、タメ口で、いろんな相談をさせてもらったりして、娘の世話もなんなら私の世話もしてもらったりして、もう全部があべこべで、今でも「あれえ?」と時々自分を戒めることもあるくらいです。
さすがの私もタメ口になる時は抵抗がありまくりだったのですが、「親戚のおねえちゃんと思って!」というお話しになって、なるほど、そう思えばいいのか!と、勝手に今は親戚のお姉さんだと思ってタメ口で話しています。
そもそも、ママ友というのは本当に面白い関係性で、いわゆる一般の社会ではあり得ないことがたくさん繰り広げられる世界です。人生の先輩でも後輩でも、母としての付き合いではそこを問題とすることはまずありません。タメ口であったり丁寧語であったりする理由に、母の属性は全く関係ないと考えています。個々人の意見を尊重して、そうした部分は決めている感じでしょうか。
私の理解では、同じ学年の子どもを育てる母として協力し合うのに上も下もないでしょう、と、少なくとも私の周囲のママ友さんは考えてくれているんだなと感じ取りました。実際はやっぱり教えてもらうことが多くて、気遣いの仕方も、また第2子以降のママだったりすれば子育てについても教えてもらうことがいっぱいいっぱいありました。やっぱりなんら後輩で妹分で初心者で新人で、ダメダメです。でも、タメ口。心では尊敬していても、という精神が私にはとても居心地が良くて楽しい空間でした。
それまでタメ口で話せるママなんてとっても少なくて、それはそれでとてもありがたい関係でしたが、幼稚園でのママの世界を広げてくれたのはまごうことなくお姉ちゃんがきっかけでした。
話は戻りますが、お姉ちゃんは常に私の想像の3馬身前くらいの提案をしてくれるので、楽しいびっくりの連続でした。
一番びっくりしたのが、お風呂でした。
私の体調が悪い時、いや、悪くなくても娘を預かるよ、と言ってくれて、
「なんなら、お風呂も入れておくわよ」
とのこと。
え?お風呂?
甘えていいものか、すっごく悩みましたが、娘に提案したらもうそれはそれは。楽しみなんてもんじゃないくらい行きたい行きたいの大号令。
お姉ちゃん、子どものツボをよくご存知で。しかも手慣れてる。。。
お姉ちゃんの娘ちゃんも大喜びで、他のお友達もいたりして、お風呂なのかプールなのか、絶対お湯の量が半分とかになってそうだけど、めちゃくちゃ楽しそうで。近所迷惑になりやしまいかというほどわいわい娘は騒いでいたのですが、その騒いでいる声が子どもらしくて、楽しんでるなあって感じられて、私はとっても幸せでした。
そのそばで、私はお姉ちゃんのソファーで横になる始末。母娘で一体何をしているのやら。
そうした展開で、娘たちはもう裸の付き合いです。
最初に気にしていた白い巨塔は一体なんなのかと、自分でもよくわからない現在の状況に驚くのですが、今は娘はリモートで遊ばせてもらっています。また以前のようにお風呂に一緒に入れるようになるといいな、なんて思ったりします。もう大きくなっちゃうから時間がないかなあ。コロナ、頼むよお。
幼稚園のお迎えに行った後にランチをしたことも、公園で何時間も待ちながら井戸端会議したことも、本当に楽しくて素敵な時間でした。
井戸端会議も立ち話できるのに、私のためにベンチに座ってくれることもしばしば。小さなことから大きなことまでみんなにも感謝しかありません。
でも、病気があろうとなかろうと、子育てはひとりでは、ひとつの家族ではできないなあと痛感しています。
人生いろんなことがあって、でもこうして良い方向の驚きや世界が広がることもあるものだと、こうした出来事は私にとって財産です。嫌なことがあっても頑張ろうって思える、踏ん張ろうって思える力になっていると思います。
こんな恵まれた中で幼少期の子育てができたことを、感謝するとともに懐かしく思い出しています。