とどちゃんの縁側でひとり言・・・。

日々の生活の中で見たこと感じたことを記録していきます。

曹洞宗について・・・2

2006-10-06 22:17:00 | 宗教
今日はちょっと休憩タイム・・・。
江戸時代の個性的な禅僧について簡単にお話しましょう。

風外慧薫(ふうがいえくん)

「出家するより、むずかしいのは寺を出ることだ」
岩穴に住み、食器代わりは「髑髏」。どこまでもついていくといった弟子も、さすがに真似できなかった。


鈴木正三(すずきしょうさん)

「初心の者は仁王禅をやるにかぎる」
手足を踏ん張って仁王の気迫にあやからなければ、煩悩との戦いに勝ち目はないぞと弟子を励ました。

桃水雲渓(とうすいうんけい)

「せまけれど、宿をかすぞよ阿弥陀どの、後生頼むとおぼしめすなよ」の賛には、何ものにもとらわれない禅の心が感じられる。

大愚良寛(だいぐりょうかん)

詩や和歌を詠み、子供たちと遊ぶ毎日。日が暮れて、みんな帰ってしまったのも知らず、ずっとかくれんぼを続けていた

風外本高(ふうがいほんこう)

書画で知られる風外。大名が礼をつくして招いたら「アカンベー」
「大寺肉山(収入の多い寺)は野狐の巣窟だ」といいきった。

物外不遷(もつがいふせん)

古道具屋の碁盤を買いたいが持ち合わせがない。手付けを置けとうるさい亭主に「これがわしの手付けじゃ」と碁盤をひっくり返し、げんこつを食らわした。こぶしの形に碁盤がへこんでいたという。

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彼らのように、学問研究に励む教団の主流とは別に、飄々と生き、民衆に愛された僧たちがいた。
仁王禅を推奨した鈴木正三はもと徳川の旗本、病の乞食を看病して歩いた乞食桃水(雲渓)、住職を捨て岩穴に住み「穴風外」といわれた風外慧薫、書画に優れ、その独特の署名の書体から「凧風外」といわれた風外本高、自然をこよなく愛した大愚良寛、「げんこつ和尚」と呼ばれた物外不遷、彼らは大寺の住職になることよりも、道元が強調した出家道の精神を身をもって実践した。
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