今回は、前回の「公案語録」の続きです。
・・・庭前柏樹子・・・
僧、趙州和尚に問う。
「如何なるか是れ祖師西来意」。
州至く、
「庭前柏樹子」。
ある僧が趙州にたずねた。「始祖達磨がわが国にやって来た理由は何でしょうか」。趙州は答えた。「庭前の柏樹だ」。問答はこのあと、こう続く。「老師、境(たとえ。客観物)で示さないでください」。「私は、境で示したりはしない」。「達磨はなぜ、わが国にやって来たのですか」。「庭前の柏樹だ」。なんとなくユーモラスで、趙州の人柄があらわれたような公案である。しかし、公案としては手がかりがつかみにくい。秋月龍は質問の部分を多少変えて「達磨の禅の極意は何ですか」、「庭前の柏樹だ」としている。このほうが、公案としてとらえやすい。
それにしても、達磨が中国に伝えたかった禅の極意が「柏樹」とは、いったい何のことだろうか。修行僧はここでも大疑団を発し、「柏樹」と格闘しなければならない。ヒントはやはり、自己と対象との一体化だ。達磨禅の伝灯は、師資相承(師から弟子へ)により趙州にも伝えられており、趙州は達磨そのものともいえる。そして、もうひとつ。お釈迦さまが深い禅定に入り、暁の明星を見て「心性清浄」を悟ったとき、「あの明星は私だ」と叫んだではないか。
自己と対象が一体となった「物我一如」の境地を、そう表現したのだ。
何物にもこだわらない、真空無相の自己は、どのような相にも変化できる。趙州が僧に質問されたとき、目の前に牛がいれば「牛だ」と答えたであろう。
・・・南泉斬猫・・・
南泉和尚、東西両堂の猫児を争うに因って、
泉、及ち提起して云く、
「大衆、道い得れば、便ち救わん。道い得ずんば、便ち斬却せん」。
衆、対うるなし。泉、遂に之れを斬る。
晩に趙州、外より帰る。泉、州に前話を挙示す。
州、及ち履うぃ脱いで、頭上に安じて出ず。
泉、云く、「子若しあらば、及ち猫児を救い得たらんに」。
唐代の禅僧南泉は、馬祖同一門下の三大士といわれた。その南泉の禅院で、東西両堂の修行僧たちが一匹の猫をめぐって争っていた。南泉は猫をつかみあげていった。「たったいま、みなが道にかなうことをいえば猫を斬らない。いえなければ斬る」。だれも答えられない。南泉はやむなく猫を斬った。その晩、高弟の趙州が帰院したので出来事を話した。
趙州は、はいていた草履を脱ぐと頭にのせて出ていった。南泉はいった。「お前さんがいたら、猫を斬らずにすんだのに」。
この公案は、悟りを得て日常生活に戻ったとき、その悟りが活かせるかどうか、悟後の修行の大切さを体得させるためのものだ。あらゆる執着を捨て、「本来無一物」の自由な境地を悟っても、日常は猫一匹の争いに満ちている。師の南泉が猫を斬ったのはなぜか。不殺生戒を破ることになるとは、当然知ってのことだ。
「猫」はだれなのか。また「猫」とは何なのか。南泉は命がけで弟子たちに「道」を問い、弟子たちはこの切所で分別にとらわれて真空無相とはゆかず、即答できなかった。しかし趙州はさすがに悟後の修行にすぐれ、師の剣の下で、とっさに無心のまま汚れた草履を頭にのせて出ていった。行為の意味ではなく、無心で状況と一体化する「禅機」が大切だ。
・・・放下著・・・
厳陽尊者、趙州和尚に問う。
「一物不将来の時、如何」。
州云く、「放下著」。
尊者、更に問う。
「一物不将来、この什麼をか放下せん」。
州云く、「恁麼ならば、担取し去れ」。
趙州に厳陽がたずねた。「何も持っていないときは、どうしたらよいのですか」。趙州がいった。「捨ててしまえ」。厳陽はさらに聞いた。「何も持っていないのに、何を捨てろというのですか」。趙州がいった。「そういうことなら、担いでいけ」。
この公案も、悟後の修行を体得させるためのものである。
厳陽は悟りを得たばかりで、無相の自己を体験し、無一物という澄みきった心境にあった。
しかし、自信に満ち得意気な厳陽の問いかけに、趙州はいきなり「捨ててしまえ」という。「著」は強い命令形である。
何を捨てろというのか。
「無の境地を悟ったと思ったのに、さらに捨てろとはどういうことでしょうか」
厳陽が重ねてたずねると、今度は「担いでいけ」という。
どういうつもりなのか。
趙州がいいたかったことは、「とらわれるな」ということである。
「お前さん、何もない、無一物だというが、後生大事に「無一物」を抱えこんでいるじゃないか。そんなものはさっさと捨ててしまえ。悟ったということにすらこだわってはいけない。そんなに捨てられないのなら、担いでいったらよかろう」
執着を残したままでは、日常生活の場で大自在は得られないのである。
他にも色々あるのですが、またの機会に・・・。
本日で臨済宗については一旦終了です。
後日、また掘り下げた学習をしたいと思います。
さて・・・次の宗派は・・・?
・・・庭前柏樹子・・・
僧、趙州和尚に問う。
「如何なるか是れ祖師西来意」。
州至く、
「庭前柏樹子」。
ある僧が趙州にたずねた。「始祖達磨がわが国にやって来た理由は何でしょうか」。趙州は答えた。「庭前の柏樹だ」。問答はこのあと、こう続く。「老師、境(たとえ。客観物)で示さないでください」。「私は、境で示したりはしない」。「達磨はなぜ、わが国にやって来たのですか」。「庭前の柏樹だ」。なんとなくユーモラスで、趙州の人柄があらわれたような公案である。しかし、公案としては手がかりがつかみにくい。秋月龍は質問の部分を多少変えて「達磨の禅の極意は何ですか」、「庭前の柏樹だ」としている。このほうが、公案としてとらえやすい。
それにしても、達磨が中国に伝えたかった禅の極意が「柏樹」とは、いったい何のことだろうか。修行僧はここでも大疑団を発し、「柏樹」と格闘しなければならない。ヒントはやはり、自己と対象との一体化だ。達磨禅の伝灯は、師資相承(師から弟子へ)により趙州にも伝えられており、趙州は達磨そのものともいえる。そして、もうひとつ。お釈迦さまが深い禅定に入り、暁の明星を見て「心性清浄」を悟ったとき、「あの明星は私だ」と叫んだではないか。
自己と対象が一体となった「物我一如」の境地を、そう表現したのだ。
何物にもこだわらない、真空無相の自己は、どのような相にも変化できる。趙州が僧に質問されたとき、目の前に牛がいれば「牛だ」と答えたであろう。
・・・南泉斬猫・・・
南泉和尚、東西両堂の猫児を争うに因って、
泉、及ち提起して云く、
「大衆、道い得れば、便ち救わん。道い得ずんば、便ち斬却せん」。
衆、対うるなし。泉、遂に之れを斬る。
晩に趙州、外より帰る。泉、州に前話を挙示す。
州、及ち履うぃ脱いで、頭上に安じて出ず。
泉、云く、「子若しあらば、及ち猫児を救い得たらんに」。
唐代の禅僧南泉は、馬祖同一門下の三大士といわれた。その南泉の禅院で、東西両堂の修行僧たちが一匹の猫をめぐって争っていた。南泉は猫をつかみあげていった。「たったいま、みなが道にかなうことをいえば猫を斬らない。いえなければ斬る」。だれも答えられない。南泉はやむなく猫を斬った。その晩、高弟の趙州が帰院したので出来事を話した。
趙州は、はいていた草履を脱ぐと頭にのせて出ていった。南泉はいった。「お前さんがいたら、猫を斬らずにすんだのに」。
この公案は、悟りを得て日常生活に戻ったとき、その悟りが活かせるかどうか、悟後の修行の大切さを体得させるためのものだ。あらゆる執着を捨て、「本来無一物」の自由な境地を悟っても、日常は猫一匹の争いに満ちている。師の南泉が猫を斬ったのはなぜか。不殺生戒を破ることになるとは、当然知ってのことだ。
「猫」はだれなのか。また「猫」とは何なのか。南泉は命がけで弟子たちに「道」を問い、弟子たちはこの切所で分別にとらわれて真空無相とはゆかず、即答できなかった。しかし趙州はさすがに悟後の修行にすぐれ、師の剣の下で、とっさに無心のまま汚れた草履を頭にのせて出ていった。行為の意味ではなく、無心で状況と一体化する「禅機」が大切だ。
・・・放下著・・・
厳陽尊者、趙州和尚に問う。
「一物不将来の時、如何」。
州云く、「放下著」。
尊者、更に問う。
「一物不将来、この什麼をか放下せん」。
州云く、「恁麼ならば、担取し去れ」。
趙州に厳陽がたずねた。「何も持っていないときは、どうしたらよいのですか」。趙州がいった。「捨ててしまえ」。厳陽はさらに聞いた。「何も持っていないのに、何を捨てろというのですか」。趙州がいった。「そういうことなら、担いでいけ」。
この公案も、悟後の修行を体得させるためのものである。
厳陽は悟りを得たばかりで、無相の自己を体験し、無一物という澄みきった心境にあった。
しかし、自信に満ち得意気な厳陽の問いかけに、趙州はいきなり「捨ててしまえ」という。「著」は強い命令形である。
何を捨てろというのか。
「無の境地を悟ったと思ったのに、さらに捨てろとはどういうことでしょうか」
厳陽が重ねてたずねると、今度は「担いでいけ」という。
どういうつもりなのか。
趙州がいいたかったことは、「とらわれるな」ということである。
「お前さん、何もない、無一物だというが、後生大事に「無一物」を抱えこんでいるじゃないか。そんなものはさっさと捨ててしまえ。悟ったということにすらこだわってはいけない。そんなに捨てられないのなら、担いでいったらよかろう」
執着を残したままでは、日常生活の場で大自在は得られないのである。
他にも色々あるのですが、またの機会に・・・。
本日で臨済宗については一旦終了です。
後日、また掘り下げた学習をしたいと思います。
さて・・・次の宗派は・・・?