とどちゃんの縁側でひとり言・・・。

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曹洞宗について・・・5

2006-10-11 21:54:25 | 宗教
今回は、曹洞宗の「修証義」にみる教えを学習していきます。

「修証義」とは・・・

正しくは「曹洞教会修証義」という。修は修行、証は悟り、義は意義をあらわす。在家信者と僧侶のための「曹洞宗教化の標準書」。宗門の教義を示したテキストということである。1890年(明治23年)に制定され、翌年一月から全宗門で公布使用された。
明治時代初期はキリスト教の活躍がめざましく、仏教各派も信徒教化に乗りだした。はじめ、曹洞扶宗会の大内青巒によって「洞上在家修証義」が在家信者のための手引き書として編集された。これは、現在の「修証義」よりやや長いもので、道元の「正法眼蔵」の九十五巻のなかから抜き集めた文章を三十二節に分けてあった。ただし、道元の主張する「只管打坐」を一般の信者に課するのは無理と判断して、授(受)戒(戒を授ける・受ける)を中心に据えた教化布教の手引き書となった。
曹洞扶宗会では、在家信者がこれを仏前で読経することを行事化しようと考え、教団が公式採用することを建議してきた。時の大本山永平寺貫主滝谷琢宗と大本山總持寺貫主畔上楳仙が徹底的に内容の検討を行い、全面的改訂によってできあがったのが、現在の「修証義」。在家だけでなく僧侶も対象に含めた。五章、三十一節、三七〇四文字でつくられている。いまや曹洞宗の檀信徒にもっとも親しまれ、法要・葬儀・施食会などで読経される。


・・・第一章   総序・・・

やがて死んでいく私たちはいま人間として生を受け、仏法と出会えた。これは素晴らしいことだ。人生ははかないが、かけがえのない生命を充実させなければならない。人の行いには善悪の報いがある。悪い行いをするものは堕落する。現在の行為は過去にその原因があり、未来に影響する。自らの悪い行いによって長い苦しみを受けるのは、まことに悔しいことではないか。


・・・第二章   懺悔滅罪・・・

仏は祖師たちは、私たちのために広大な慈悲の門を開けて待っていてくれる。すべての衆生を悟りに導くためだ。自らの行いの善悪の報いは必ずあるが、たとえ重い悪業を負っていたとしても、仏に懺悔すれば軽くなり、清浄な身にしてくれる。だから仏に「私を憐れんで、悪業の積み重ねから脱出させ、仏道修行にさしつかえのないようにしてください」と懺悔努力しよう。


・・・第三章   受戒入位・・・

懺悔がすんだら、仏法僧の三宝に帰依し、迷信・邪教に頼ってはならない。次に三つの清浄な生活の戒と十の大切な戒を受けなければならない。
釈尊はいっている。「仏戒を受け修行を怠らなければ、諸仏の位に入り、諸仏の子となる」と。人々は、はかりしれぬ仏の力に助けられて悟りを開くのだ。


・・・第四章   発願利生・・・

菩提心を起こすという意味は、自分より先に、他の人々を悟りの彼岸へ渡してあげようと発願し努力する利他の心を起こすこと。この心を起こせば、七歳の少女であっても命ある者の指導者だ。衆生に幸せを与えるためには、四つの知恵がある。①貪らず施すこと②優しい言葉で接すること③利多行に専心すること④衆生の立場に立って教化を実践すること、である。


・・・第五章   行持報恩・・・

私たちには、このように仏道を求める機会が与えられている。仏の教えにめぐり会えたからである。釈尊の歴史と祖師たちが身をもって教えを伝えてきたからこそ、私たちはめぐりあえた。
その恩に感謝しないということがあろうか。私たちが仏や祖師たちの恩に報いる方法は、毎日、仏の行いを理想として修行生活を送ることだ。釈尊と通じる即心是仏の姿・心で生きていくことだ。

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