St. John of the Crossの生き方に憧れて

受洗後、最初に買ったカトリックの本が「愛への道」。相応しい生き方をしてない。彼に倣う生き方が出来るよう心がけたいです。

日記

2014-08-16 01:28:57 | Weblog
0 多忙なので、順番通りカテキズムの更新のみ。
写真は、昨日8/10(日)の松本。コスモスの会の為、松本に行く。

アントニオーニの映画「情事」をなかなか進められない。島の小屋のところ。リチーの指摘に納得。リチーの「映画のどこをどう読むか」の該当箇所を読む。
引用は変わらない。

“正反対性(両極性)を使って自分の言いたいことをあらわすこのアントニオーニの方法は、幾何学的である。両極端を持つ線があって、われわれはその両端を見るよう求められる。後へ行くほどこの映画は幾何学的な要素でいっぱいになる。背景の一部に見られるバロック風の幾何学的なものとか、青写真や建築用の図面の使用といった見てすぐわかる表現だけではなく、テーマを明確にし、例証し、文学的にあらわすための幾何学的な構図がたくさん使われている。”(p.87)

1 家にあるCDによるクラッシック紹介は2枚。前回踏襲。
「バッハ:ゴルトベルク変奏曲」(ピノック(チェンバロ);アリヒーフ)
「バッハ:パッサカリアとフーガハ短調他」(ヴァルヒャ(チェンバロ);FIC)

2 「聖母の被昇天」の祭日について、

 “五世紀のエルサレムで八月十五日に祝われていた神の母マリアの記念は、六世紀には、マリアの死去の日として東方教会で祝われるようになった。七世紀半ばに西方教会にも受け継がれ、マリアの被昇天の名で知られるようになったのは、八世紀になってからである。一九五〇年にピオ十二世教皇は、マリアが霊肉ともに天に上げられたことを教義として宣言した。教会は、キリストと最も深く結ばれていたマリアが、真っ先にキリストの復活と栄光にあずかっていることを祝っている。”(「毎日の読書」より)

午前1時。本来なら、この時間位まで教会に居て祈ってないといけない時間帯。何をやっていたんだか。暑いので、窓を開けていたら、雨が降り出す。恵みの雨か。涼しい。夕方から、数学教育学会の原稿を書いていて、疲れたので、少し気分転換することにする。ヘッドフォンで吉野直子さんのハープを聴きながら、スピーカーでマタイの英語朗読を聴いて原稿/ブログを書く。祈りに代える。原稿は未だ5割かな。花火も見ず、没頭する。書いている間にも、雨が激しくなって来た。

雨の中、松本で読んだ、
「ヨーロッパニューシネマ名作前史」
「2014数学Ⅲ入試問題集」
「英単語checkmate」
「古今集・新古今集評釈」
「高校政治・経済」(実教)
「非線型の力学系とカオス(下)」(S.ウィンギンス;シュプリンガー)
“The Mathematics of Time”(S.Smale;Springer)
“Dubliners”
などが最近の本。
当然、ここ2~3日で、仕事や学会準備で読んだ本があるが、発表内容などに関わるので“企業秘密”。それより、「聖母の被昇天」を祝ってください!

アルスの主任司祭聖ヴィアンネの本「聖ヴィアンネの精神」(モンナン神父)からは、変更なし。

“信仰と愛徳によって、御言葉がわれわれの中に住まい給うとき、われわれの霊に注ぎ給う神的光に照らされた知性の徳がある。”
“「心の眼を清めて、真の光に向かって飛翔するには、世のわずらいを軽んじ、身体を抑制し、痛悔の心を抱き、涙を注がねばならない・・・神の賛嘆すべき本質とその無垢なる心理とを黙想し、純なる意向をもって熱心に祈り、神に於いて喜び、天国を熱烈に望まなければならぬ」”
(p.13~14)

4 半年程前に「現代詩手帖」に投稿したけど採られることのなかった詩の紹介。3回目。段々と書き足していきます。一定のレベルに達しない詩ではありますが・・・。

“「昼」 白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない //何千もの部品からなる 精密なゼンマイ装置 淀みのない時を刻み 傷みの欠けた歴史を繰り返す 空間の歪み そして 抜けるように広い青空//補正しようにも 補正しようのない 鋭い悔恨 戦禍にも その村は焼け落ちず・・・ 空間が そして 後に時間が後退して 仄かな祈りが・・・//空に白雲が立ち籠め 木々の緑 その影は 日差しを遮り 小さなバルコニーには 混沌が形成されていた 空港に出て 半島を半時計周りに巡って また読み止しの本に戻った// 「ステファニーが フランスに旅をして お菓子屋になる為に パリで勉強する やがて 大人のする恋をした そして 振られ・・・」//お座なりに投げ出された鞄から 星が銀河のように溢れ出て 空間を限りない光で満たした//次第に遠のいて行く テールランプ 棒状に浮かぶ雲たち 庇には もう東の月が出ている 周到に準備された 文月のような それでもう 終末に近いことが分かる//”(未了)

最近、短歌か数学ばかりで詩を余り読んでないので、自然評が甘くなる・・・。「次第に遠のいて行く テールランプ 棒状に浮かぶ雲たち 庇には もう東の月が出ている 周到に準備された 文月のような それでもう 終末に近いことが分かる」を冒頭の「白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない」と比較したい。その前に、“コンピューティングにハミルトンの四元数を使う”のその先を考えたい!

5 From “Quantum Computation and Quantum Information”(M.A.Nielsen I.L.Chuang;Cambridge)(p.174)

“A single qubit is a vector |ψ>=a|0>+b|1> parametrized by two complex numbers satisfying |a|^2+|b|^2=1.Operations on a qubit must preserve this norm,and thus are described by 2×2 unitary matrices.Of these,some of the most important are the Pauli matrices;it is useful to list them again here:
X=[0 1 ;Y=[0 -i ;Z=[1  0
   1 0]    i  0]    0 -1]
Three other quantum gates will play a large part in what follows,the Hadamard gate (denoted H),phase gate (denoted S),and π/8 gate (denoted T):
H=1/√2[1  1 ;S=[1  0 ;T=[1  0
       1 -1]    i  i]    0 exp(iπ/4)]
A couple of useful algebraic facts to keep in mind are that H=(X+Z)/√2 and S=T^2.“

量子コンピュータの代表的な教科書から引用しました。
15年位前に“コンピューティングにハミルトンの四元数を使う”、発想してたが、その後進めず。

6 “人類の基数その数さえ順序さえ”
以前作って投稿しなかったものから。前のもそうだが何を目指しているかのか依然分からない句。

7 “1939:The principle of solidarity,also articulated in terms of ”friendship“ or ”social charity“,is a direct demand of human and Christian brotherhood.”
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939:The fact that men and women in various parts of the world feel personally affected by the injustices and violations of human rights committed in distant countries,countries which perhaps they will never visit,is a further sign of a really transformed into awareness,thus acquiring a moral connotation.”
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
 
9 「聖母の被昇天」福音朗読。ルカによる第1章から。

“「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、その憐れみは代々に及びます。主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません。わたしたちの先祖におしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」マリアは、三か月ほどエリザベスのところに滞在いてから、自分の家に帰った。」”
-(「イエスの母は、天上において肉体と霊魂ともどもすでに栄光を受けている者として、来世において完成されるべき教会の像であり始まりであるように、地上においては、主の日が来るまで、旅する神の民にとって確実な希望と慰めのしるしとして輝いている」)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年8月16日
                       乗倉寿明記す