0 極めて多忙。順番通りカテキズムの更新のみ。写真は、昨日8/3(日)の駒ヶ根。いろいろと用があって、一昨日は駒ヶ根に行く。
アントニオーニの映画「情事」を見始める。島の小屋のところ。
リチーの指摘に納得、は変わらない。
リチーの「映画のどこをどう読むか」の該当箇所を読む。その中、
“正反対性(両極性)を使って自分の言いたいことをあらわすこのアントニオーニの方法は、幾何学的である。両極端を持つ線があって、われわれはその両端を見るよう求められる。後へ行くほどこの映画は幾何学的な要素でいっぱいになる。背景の一部に見られるバロック風の幾何学的なものとか、青写真や建築用の図面の使用といった見てすぐわかる表現だけではなく、テーマを明確にし、例証し、文学的にあらわすための幾何学的な構図がたくさん使われている。”(p.87)
1 家にあるCDによるクラッシック紹介は2枚。前回踏襲。
「バッハ:ゴルトベルク変奏曲」(ピノック(チェンバロ);アリヒーフ)
「バッハ:パッサカリアとフーガハ短調他」(ヴァルヒャ(チェンバロ);FIC)
2 今週のNaKossに引き続いて今週の日曜も駒ヶ根。駒ヶ根着は8:00.前の晩一睡もしてなかったので、危うく乗り越ししそうになる。車掌さんに起こされて改札口へ。駅前ロータリーで待っていた“ロープウエー行き”バスに乗り、“駒が池”で下車。少し散策した後、明治屋さんへ。ソースカツ丼を水音爽やかなテラスで食べ、1時間程で“下山”。10時からのミサに与る。ミサには、東京から伊藤神父様のところに来て滞在されているシスター7人が参加、歌ミサとなる。午後は図書館。9時半の電車に乗って帰って来る。
「プリンキピアを読む」(ブルーバックス)「カオス力学系入門」(Devaney)「古今集・新古今集評釈」(松尾聡)「エコノフィジックス」「2014数学ⅠⅡAB入試問題集理系」“Dubliners”「西脇順三郎詩集」
などを読む。
アルスの主任司祭聖ヴィアンネの本「聖ヴィアンネの精神」(モンナン神父)から。変更なし。
“信仰と愛徳によって、御言葉がわれわれの中に住まい給うとき、われわれの霊に注ぎ給う神的光に照らされた知性の徳がある。”
“「心の眼を清めて、真の光に向かって飛翔するには、世のわずらいを軽んじ、身体を抑制し、痛悔の心を抱き、涙を注がねばならない・・・神の賛嘆すべき本質とその無垢なる心理とを黙想し、純なる意向をもって熱心に祈り、神に於いて喜び、天国を熱烈に望まなければならぬ」”
(p.13~14)
4 半年程前に「現代詩手帖」に投稿したけど採られることのなかった詩の紹介。3回目。段々と書き足していきます。一定のレベルに達しない詩ではありますが・・・。
“「昼」 白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない //何千もの部品からなる 精密なゼンマイ装置 淀みのない時を刻み 傷みの欠けた歴史を繰り返す 空間の歪み そして 抜けるように広い青空//補正しようにも 補正しようのない 鋭い悔恨 戦禍にも その村は焼け落ちず・・・ 空間が そして 後に時間が後退して 仄かな祈りが・・・//空に白雲が立ち籠め 木々の緑 その影は 日差しを遮り 小さなバルコニーには 混沌が形成されていた 空港に出て 半島を半時計周りに巡って また読み止しの本に戻った// 「ステファニーが フランスに旅をして お菓子屋になる為に パリで勉強する やがて 大人のする恋をした そして 振られ・・・」//
「“情景”“場面展開”、もうちょっと整理しよう!」という訳で、わたしはこれで・・・。拙くなると逃げるというパターン。申し訳ないが。「手帖7月号」にショック受けてて、「ヤバイなあ・・・」というのが正直なところ・・・。「詩と思想」「現代詩手帖」始め、最近の日本の詩壇には目を瞠らされるものが・・・。毎月が驚愕させられる。「西脇何だったの」「朔太郎何だったの」が率直なところ。是非、注目して欲しい。
5 From “Geometry of Quantum Theory”(V.S.Varadarajan;springer)(p.21)
“The division rings of greatest importance in physics are R,the field of real numbers,C,the field of complex numbers,and H,the division ring of ”Hamiltonian“ quaternions.
(c)H,the quaternions.Let
I=(1 0 j1=(i 0 j2=(0 1 j3=(0 i
0 1) 0 -i) -1 0) i 0)
where i is the usual square root of -1 in the complex number field.We define H to be the R-linear span of 1 and ja(1≦a≦3);since ja^2=-1 and jajb=-jbja=jc whenever (abc) is an even permutation of (123),H is an (associative) algebra.“
Pauli matrixが出てきた。量子コンピュータでも、それらでspanされる。そのアナロジーから。四元数を量子コンピュータに使おうと思い立ったのは。
6 “薄雲に月清くいる東雲に 星灯りする春はうららに”
今回、俳句でなく短歌。作って投稿しなかったものから。多忙につき変更せず。
7 “1939:The principle of solidarity,also articulated in terms of ”friendship“ or ”social charity“,is a direct demand of human and Christian brotherhood.”
(from “Catechism of the Catholic Church”)
8 “1939:It is God,in ”whose hands are the hearts of the powerful“ and the hearts of all,who according to his own promise and by the power of his Spirit can transform ”hearts of stone“ into ”hearts of flesh“.
On the path toward the desired conversion,toward the overcoming of the moral obstavles to development,it is already possible to point to the positive and moral value of the growing awareness of interdependence among individuals and nations.“
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
9 年間第18火曜日福音朗読。マタイによる第15章から。
“「聞いて悟りなさい。口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚すのである。」・・・「わたしの天の父がお植えにならなかった木は、すべて抜き取られてしまう。そのままにしておきなさい。彼らは盲人の道案内をする盲人だ。盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちてしまう。」”
-(「主よ、すべて滅ぼしてください。滑らかな唇と威張って語る舌を」「わたしの舌があなたの正しさを歌い、絶えることなくあなたを賛美しますように」)
†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。
2014年8月5日
乗倉寿明記す
アントニオーニの映画「情事」を見始める。島の小屋のところ。
リチーの指摘に納得、は変わらない。
リチーの「映画のどこをどう読むか」の該当箇所を読む。その中、
“正反対性(両極性)を使って自分の言いたいことをあらわすこのアントニオーニの方法は、幾何学的である。両極端を持つ線があって、われわれはその両端を見るよう求められる。後へ行くほどこの映画は幾何学的な要素でいっぱいになる。背景の一部に見られるバロック風の幾何学的なものとか、青写真や建築用の図面の使用といった見てすぐわかる表現だけではなく、テーマを明確にし、例証し、文学的にあらわすための幾何学的な構図がたくさん使われている。”(p.87)
1 家にあるCDによるクラッシック紹介は2枚。前回踏襲。
「バッハ:ゴルトベルク変奏曲」(ピノック(チェンバロ);アリヒーフ)
「バッハ:パッサカリアとフーガハ短調他」(ヴァルヒャ(チェンバロ);FIC)
2 今週のNaKossに引き続いて今週の日曜も駒ヶ根。駒ヶ根着は8:00.前の晩一睡もしてなかったので、危うく乗り越ししそうになる。車掌さんに起こされて改札口へ。駅前ロータリーで待っていた“ロープウエー行き”バスに乗り、“駒が池”で下車。少し散策した後、明治屋さんへ。ソースカツ丼を水音爽やかなテラスで食べ、1時間程で“下山”。10時からのミサに与る。ミサには、東京から伊藤神父様のところに来て滞在されているシスター7人が参加、歌ミサとなる。午後は図書館。9時半の電車に乗って帰って来る。
「プリンキピアを読む」(ブルーバックス)「カオス力学系入門」(Devaney)「古今集・新古今集評釈」(松尾聡)「エコノフィジックス」「2014数学ⅠⅡAB入試問題集理系」“Dubliners”「西脇順三郎詩集」
などを読む。
アルスの主任司祭聖ヴィアンネの本「聖ヴィアンネの精神」(モンナン神父)から。変更なし。
“信仰と愛徳によって、御言葉がわれわれの中に住まい給うとき、われわれの霊に注ぎ給う神的光に照らされた知性の徳がある。”
“「心の眼を清めて、真の光に向かって飛翔するには、世のわずらいを軽んじ、身体を抑制し、痛悔の心を抱き、涙を注がねばならない・・・神の賛嘆すべき本質とその無垢なる心理とを黙想し、純なる意向をもって熱心に祈り、神に於いて喜び、天国を熱烈に望まなければならぬ」”
(p.13~14)
4 半年程前に「現代詩手帖」に投稿したけど採られることのなかった詩の紹介。3回目。段々と書き足していきます。一定のレベルに達しない詩ではありますが・・・。
“「昼」 白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない //何千もの部品からなる 精密なゼンマイ装置 淀みのない時を刻み 傷みの欠けた歴史を繰り返す 空間の歪み そして 抜けるように広い青空//補正しようにも 補正しようのない 鋭い悔恨 戦禍にも その村は焼け落ちず・・・ 空間が そして 後に時間が後退して 仄かな祈りが・・・//空に白雲が立ち籠め 木々の緑 その影は 日差しを遮り 小さなバルコニーには 混沌が形成されていた 空港に出て 半島を半時計周りに巡って また読み止しの本に戻った// 「ステファニーが フランスに旅をして お菓子屋になる為に パリで勉強する やがて 大人のする恋をした そして 振られ・・・」//
「“情景”“場面展開”、もうちょっと整理しよう!」という訳で、わたしはこれで・・・。拙くなると逃げるというパターン。申し訳ないが。「手帖7月号」にショック受けてて、「ヤバイなあ・・・」というのが正直なところ・・・。「詩と思想」「現代詩手帖」始め、最近の日本の詩壇には目を瞠らされるものが・・・。毎月が驚愕させられる。「西脇何だったの」「朔太郎何だったの」が率直なところ。是非、注目して欲しい。
5 From “Geometry of Quantum Theory”(V.S.Varadarajan;springer)(p.21)
“The division rings of greatest importance in physics are R,the field of real numbers,C,the field of complex numbers,and H,the division ring of ”Hamiltonian“ quaternions.
(c)H,the quaternions.Let
I=(1 0 j1=(i 0 j2=(0 1 j3=(0 i
0 1) 0 -i) -1 0) i 0)
where i is the usual square root of -1 in the complex number field.We define H to be the R-linear span of 1 and ja(1≦a≦3);since ja^2=-1 and jajb=-jbja=jc whenever (abc) is an even permutation of (123),H is an (associative) algebra.“
Pauli matrixが出てきた。量子コンピュータでも、それらでspanされる。そのアナロジーから。四元数を量子コンピュータに使おうと思い立ったのは。
6 “薄雲に月清くいる東雲に 星灯りする春はうららに”
今回、俳句でなく短歌。作って投稿しなかったものから。多忙につき変更せず。
7 “1939:The principle of solidarity,also articulated in terms of ”friendship“ or ”social charity“,is a direct demand of human and Christian brotherhood.”
(from “Catechism of the Catholic Church”)
8 “1939:It is God,in ”whose hands are the hearts of the powerful“ and the hearts of all,who according to his own promise and by the power of his Spirit can transform ”hearts of stone“ into ”hearts of flesh“.
On the path toward the desired conversion,toward the overcoming of the moral obstavles to development,it is already possible to point to the positive and moral value of the growing awareness of interdependence among individuals and nations.“
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
9 年間第18火曜日福音朗読。マタイによる第15章から。
“「聞いて悟りなさい。口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚すのである。」・・・「わたしの天の父がお植えにならなかった木は、すべて抜き取られてしまう。そのままにしておきなさい。彼らは盲人の道案内をする盲人だ。盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちてしまう。」”
-(「主よ、すべて滅ぼしてください。滑らかな唇と威張って語る舌を」「わたしの舌があなたの正しさを歌い、絶えることなくあなたを賛美しますように」)
†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。
2014年8月5日
乗倉寿明記す