昨日午後3時よりの
涛音寮での
吉川よしひろチェロコンサート
たくさんの皆さんのご来場頂き、
ありがとうございました。
彼は
それこそ
片耳が、聞こえないと言う音楽家としては大変なハンデを背負いながらも
これは彼の持っておられた紹介の中にありましたが
「コンプレックスを個性に変えて」
と言う一言に凝縮されます。
例えば私も
環境より想うような進路も全て諦めなくてはならなかったりしましたが
一時期凄まじいコンプレックスから
歪んでしまい
それこそ羨ましさや劣等感に苛まれ
人様にご迷惑をおかけするくらいになりました。
何も見えなくなってしまったんです。
その頃には何をみても聞いても心がきゅ~んとなってしまい
涙がこぼれ止まらなくなったり
なるべく目立たないように後ろに隠れるようになりました。
この方のチェロを初めて聴いたとき涙が、止まらなかったのは
そんな自分の情けなさや辛さが
そうさせたのかもしれません。
しかし私はラッキーでした
ある方に真剣に大声で叱ってもらった
叱られた場所は今でも恥ずかしくて入れません。(笑)
それで目が覚めたんです。
ようやく自分自身の人生を歩み出せましたし
作品たちも画期的に変化が出て来ました。
人の後ろに隠れる性格も少しずつ少しずつマシになり
それでも緊張するからあまり派手には前には出ませんけど(笑)
それこそ自分自身の、心の中にある劣等感やコンプレックスを
そうだ、こういう環境から、こういう状況からでも夢は表現できるのだと言うことを
悩む若い人たちや子どもたちにも
知ってもらえるような
そんな作家でありたい
そう強く想えるようになりました。
今ではそんなコンプレックスから優しさを強烈に、求めていた時期の作品さえ
自分の人生のうた(詩)なのだと想えるようになり
ありがたさで涙が出るようになりました。
華々しい経歴はございませんが
オリジナリティとしての、個としての自分は
どのような表現をしていきたいのか
そのことだけを
命ある限り突き詰めて行きたい。
それこそ私がこの世に生まれてきた意義のような気がして。
絵を描いたり表現することが大好きだった父や父の兄弟姉妹は
その環境になく
多くが結核により生命を若くして落としてしまいましたが
私は環境はダメだったけれども
不思議な出会いを繰り返し
助けて頂き今があります。
その感謝を忘れず表現していきたい。
最後に彼のパンフにあった言葉が
まるで自分のことのように響いた部分があります
両耳聴こえてたら、素晴らしい音楽を感じられなかったかもしれないというそんな言葉は
ああ
私のおるごーるも
豊かに教育受けて環境整っていたら
財力もあれば
この喜びは感じられなかったのだなあと感動しました。
もちろん環境整って色々素晴らしい環境の方はそれはもうその方の才能。それでいいのです。
もちろんそこから本当に凄い見えない努力を積み重ねられてその環境は花ひらくので
環境だけじゃない事も十分わかっています。
語られないだけ。
私のようにひん曲がったコンプレックスで劣等感に病んだ一時期は
人生で本当に辛い時期でもありましたが
それでもそんな時期を
私は無駄にしないで
これからの豊かな表現に繋げていきたいです
ありがとうございました