感情も、海のようなもので
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波が起こるときもあれば凪もある
不思議なものだなあ。
波の高い時は
酷く揺れるときは宵うようなもので
まともに頭も働かないし
穏やかなときはさ船さえ滑るようなそのようなものとなる
低気圧が近づき荒れたときも仕方ないもので
低気圧は自分ではどうしようもないものだから
なぜ海が荒れるのだ❢と騒いだところで仕方ないなあと
そんな時はスーッとあきらめるのがいいのかも。
いつまでも
何で?どうして?なんて言ってるほど人生は長くないものなあ。
落ち込んだり苦しくてもまぁ生きてるからいいか。みたいに流してしまおう
そんな厚かましさも必要なのかもなあと歳を取ると思えるから人生という海は面白い
厚い雲の間から日が差して
翻弄された船にいても
沈没さえしなければ必ず港に着くものなのだと
初めて荒れた海で揺られたとき
気づいたものです
穏やかな時も
そのうちまた荒れるかもなあと想ってたら
荒れたとき慌てなくていいのかなあと
簡単じゃないけど
想うことにしています。
本当に簡単じゃないけど
仕方ないもの
以前の自分ならとことん自分を追い詰めたし責めました
でも
その事で人まで巻き込み
苦しい想いをさせたし迷惑もかけることになりました
人の環境は才能みたいなものなのだろうと思えた頃から
人を羨ましいと思ったり
自分はダメなのだと落ち込みあきらめる性格を脱ぎ捨てたいと想いました。
才能なければ努力しかないし
ジタバタしたって環境など
天から降る訳でもないからです
何にもないなあと感じたら
何かまずひとつでいいから得られるようがんばるかなと切り替えたんです
そしたら本当に
簡単ではないけどたったひとつ何かが得られて
不思議な事が起こるようになりました。
天が打ち合わせしてくれてるみたいに
いろんな不思議な事も起きました
でもそんなときばかりじゃなくて
荒れた海は必ず定期的に来るわけで
そんな時も
仕方ないか〜。とあきらめる事もできるようになりました。
ちょっとだけでもそんな時は前に進めたらラッキーだなあ
その場にしばらく立ちすくんでも
まぁあくる朝に一歩だけ
みたいな
偉い人達や優れた人たちがSNSで投稿されたりすると教科書みたいにそうあるべきなのかなあとか想った時期もあったけど
そんな事ないしなあと肩の力を抜いてみた
情報って多すぎたらしんどいなあと
田舎にいるとよくわかった
コンビニも何も無い
夜日が暮れたら真っ暗
そんな環境は
心を真ん中に戻してくれました。
夜が明けて来たら動き出して
毎日当たり前みたいな事が出来たら儲けものなのかもと思えました
鳥の声や生き物たちの生き死にや
植物たちのたくましさ
海の姿や山の様子
風の音
それらが
最初は怖い時も多かったけど
自分というものが何となく自然の一部にすぎないのだなあと想えたときから
楽になりました
国東に来てから私は
なんとかなる自分を見つけたのかもしれません
街の中ではわからなかったから。
凪ばかりじゃ作品は起こらないし
成り立たない。
たまに波立つ時にこそ
不思議なアイデアも生まれて来る時があります
面白いものなのだなあと
まるで傍観者みたいに感じているんです
ジタバタしても仕方ないから
なんとかなる自分になればいいのかなあと。
何処に住んでも同じだ
と、
昔父が言ったことがある
そんなものか
と、想いました。
根が浅い人間なら
浮草のように漂う時も有ってもまた
どこかに引っかかり止まる時もあるのでしょうか
凪いだ海を見るときふと
そんな事を想う時もあります。
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