帰る場所と言うのはよく言うけれど
いよいよ京都の実家もなくなる
博多にいて帰れない私は
何にもできないが
色々してくれた妹夫婦には感謝しかない。
父を在宅介護してた頃
天井から点滴釣るのにあけた孔や
子供の頃の自分の落書き。
実は消したつもりがまだある。
生まれ育った家だけに寂しさはあるけれど
いよいよそんな時が来たのだなと想う。
古い京都の町家
おくどはんがあった。
煤払いのながーい箒や
うなぎの寝床の玄関から裏まで通る土間
冬は寒い「はしり(台所)」
太い大きな梁
高い大天井
織屋町家の姿は
天窓から差し込む光に照らされた。
そんな京都の町家はどんどん消えていく。
ツルツルの柱。
表の石段。ツツジや樫の木、昔は松の木
今は楓。
縁先から見る大文字(今はマンションが建ちちょっとしか見えない)
表に床机を出してスイカを食べながら送り火見た
送り火終わると花火してた。
今では観光客の皆さんで溢れそのような事も絶対できない夏の日。
想えば幼馴染の家も売ってしまわれなくなったり、誰も住まない感じになったり。
遊んだ町内の思い出は既に心の中にしか存在しません。
マンションだらけになり町家は次々と消えました。
両側と、裏にマンション等で挟まれ陽射し閉ざされ
孤立した町家は瓦屋根を両側のコンクリートで閉ざされた。
甍の波はなくなった。
そんな日が来たなあと想います。
諸行無常と中学生の頃教わった。
全ての事は常ではないのだと。
ちょうど平家物語を読みふけっていた頃で
国語の先生が
物語の中だけではなく人の世は常にそのようなものだと言われた。
何一つ留まるものだとないのですよと。
だからこそ
一瞬一瞬を大切にと教わりました。
出会う人もそうですよね。
大切ですね。
想うんです。
過去は思い出。
これから歩む日々は
自分が作り出す未来に続きます。
いろいろなことがあり
出会いや別れもあり
それでも自分の人生の歴史はこれからどこまで続くかわかりませんけど
コツコツ参ります。
大切に参ります。
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自分の分を知って
そしてその分を知った上で
少しずつ自分の表現を広げて行きたいなぁ。
昨日
インスタグラムで
私の作品ご覧になって
大きさがわかんないと言われてました。
何かと対比したりすればいいかなあ。
ちょっと工夫しなきゃと想いました。
自分じゃ気づきませんでしたね。
このように教えてもらえる事は素晴らしいことだなと想いました。
でも、物差し横に置くような愛想のないのはいけません。(笑)
何かいい方法ないかしら?と
またまたワクワクしている自分です。
皆さん本当にありがとうございました。
さて
今日はあさイチから来られる方々が。
早めに会場に入りまーす。
今日も皆さん
どんどん音色を聴きに来てくださいね。