夢の中で
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母が靴を買っていた。
お洒落な靴で
「お母さん、そんな靴履けるの?」と聞いたら
「履いてお出かけするねん」
と、笑いました。
母が何かの取材の折に同席して
後から新聞見たら背筋伸ばして座っていた。
へえ。取材の時はこんなにしゃんとできるのねえと笑ってました。
母は素敵なお気に入りの靴を履いて
杖も持たずに歩いていました。
すごく嬉しそうでした。
母は昔からお洒落も好きでお買い物も好き。
そんな以前の元気な母の幻影を夢で見たのでしょうか。
元気な間にまだまだいろんなことをしてあげたい気持ちになってきました。
無理はできないけれど。
何だかヘンテコな夢でした。
国見で
田んぼや畑で毎日働く人々
いろんな神事や行事
朝練
ふと思ったんです
これらを何らかの記録に残せたら素晴らしい。
私のおるごーるは
愛情を表現したいので
いつかそんなテーマのものを残したい。
人の優しさやいろんなものを表したい。
ふと思い出しました。
昔の京都。
西陣の人たち
手機織る祖母
働く職人さん達
行き交う自転車やバイクや車
年末の京都の商店街
寺社仏閣の師走の行事。
寒かった。
本当に寒かったけど、あの寒さが心の底から好きでした。
あかぎれできて冷たかったけど
大掃除や
近所の井戸端会議してるおばちゃん達。
下駄隠ししたりゴム飛びしたり5歩飛びしたりしてた道
地蔵盆の様子
今では海外の皆さん押し寄せ
観光客の皆さんで溢れ
路地の姿も変わり
サワガニやホタルと遊んでた山際の小川の所は切り開かれ
マンションや高級リゾートホテルや色鮮やかなお店が並ぶ
別世界になりました。
ふるさと京都の思い出や
国東国見の大切な思い出を
何かに残しておけたら素晴らしい。
諸行無常でそんなものは本当に刹那なのですけれども
そこに確かにあった愛情やあたたかさが表現できたらなあとふと想いました。
そのうち日本が日本でなくなるのではないかと想う時も。
観光地はブランド化されてますが
本来の京都市内は泥臭い。
歴史の中に埋もれた町衆の皆さんは
泥臭い中でいろんな洗練されたものを残し続けた気がします。
市井の民は歴史を支える者で
表舞台には華やかな人たちが残りますが
それを支えた無名の市井の民は
蠢き働き続け
その伝統や歴史を作り出して来ました。
それは本当に美しいものだったのかもしれません。
今だって、1人の人の心のなかにみんなみんな
宇宙みたいに大きな夢や希望やその人の経験や思い出が詰まっていて
それらはみんなみんな異なる唯一無二の世界。
尊いものですね。
ただじーっと観ている人々の営みとは
何とも壮大で美しく尊いものなのかと
ふと感じました。
私は何ができるだろう。
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