夢音(ゆのん)~風のおるごーる~ atelier JUNON

~想いをかたちにするために~
天然木を使った、オルゴール作家

あれれ〜。

2025-01-05 11:01:27 | つれづれ
とにかく夜から熱高くなりとんでもないしんどさで

インフルとも違うなあと思ってまして

しかし都会と違って当番医の先生の所の発熱外来車で横付けしたらすぐに検査もしてくださり、

陽性❢ということでびっくり。

「今大分県はインフルとコロナ蔓延してるから、お正月前に既に感染していて、帰ってから発症したのかも。」とも言われ。

いやいや、近所の買い物しかしてないけど

どこで感染するかはわかりませんからね。

母はワクチン打ってるから食欲もあり咳くらいですぐに収まり

私はアレルギーでワクチンのドクターストップで打ってません。



田舎あるあるで

発熱していても車で15分走って受診。

いやいや今回はまだ近いところが休日当番医。

場合によっては1時間近く車で走る時もあるわけです。

38度越えてても運転しっかりできるもんだなあと想い直し。

もう一つびっくりしたのはお薬の高価さ。

ひえ~。そんなに?って感じですね。

あんまりびっくりして帰り道シャンと運転できました。(笑)

5日間はお外に出ないで休んでくださいねと言われ

とにかく寝てましょう。

食欲もないけどバナナあったので食べてお薬のみ

とにかく寝る

寝る

寝る

それに限りますね。


皆さんどうかお気をつけください。



きなちゃん

密着してたけどうつってない?

にゃんこはかかるのかなあ?

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あれれ?

2025-01-04 20:06:14 | つれづれ
帰って来て

夕方片付けしてたら

悪寒が。

サムサムサム〜。

ガタガタ震える。

母が京都でデイサービスでもらってきたのが

私は遅れて反応したのかな?

こんな休みの時に。

明日の当番医は熊毛か。

行けるかなあ。

まあ息子からなるべく離れてちょっと電話して行って来ようかしら?

それともカロナールあるので月曜日まで我慢するか。

うーん

考えましょう。

ガタガタして毛布たくさんくるまって

これ、前の誰かさんとおんなじ。

カロナール買って来て飲んでもらったなあ。

情けない。

母とずーっと一緒にいたからこりゃやっぱりもらったのかも。

国見の半分も寝られなかったので体力弱ってたのでしょうね。

ひと月母を介護してくたびれ出たんだと息子は言います。

「毎日お風呂介助とかしてご覧よ。壮絶だ。みんな簡単に預かれって言うけど、やってみろ。一人で。」

そんな事を言うものじゃない。

身体がワクチンの時の副反応みたいに熱くてたまりません。

おとなしく寝てましょう。

と、見てた息子は言いますが。

息子にうつさないように離れていますが。

確かにバス停で並ぶ海外の方々が

思い切り咳き込んでたりクシャミされたりしてましたね。

皆さんマスク都会ではされないので。

私はしてたのにやっぱりうつりましたか。



あれとは違う。

コロナワクチンの副反応みたいな感覚だ。

ということはもしや。

初?

まあ養生しましょう。

しかし母のお薬をちゃんと分けたわけですが

私が高熱で電話して

はい、土曜日のところのこんな薬をまずは出したらこんな色の薬でてくるからそれをふたつ、等と薬の形や色で説明するのですが

まるで駄々っ子みたいに色々言うので

段々話すのが辛くなる

高熱の時の話は辛いですね。

段々しんどくなり話途切れると

めちゃくちゃ言うので

息子が電話変わって説得。

ちゃんとお薬飲めてヤレヤレ。

はー。

すっかり甘え癖付きましたね。

「あんた何で熱なんか出してるのよ」

いやいや。堪忍して。母上。

眠らせて。

ウトウト眠ると母の夢を見る

お薬ぐちゃぐちゃにしてしまい

また私がお薬入れにひとつずつ入れてる。

その尻からまたぐちゃぐちゃに

「お母さんお願いやから、触らんと寝ましよ」

それを声に出して目が覚める。

息子に笑われる。

「無間地獄か?(笑)」

ああ眠りたい。

1ヶ月ずーっとそばにいて

そのくたびれがでましたね。

息子は

「やらない人は言う。お母さん大切にね。あなたはお母さんのお世話出来て幸せやね。って。介護した人はそんな事は言わん。ひと月頑張ったらそりゃクタクタ。あんたその疲れを抜かないと作品作れないよ。」

目の下にクマを作りながら倒れ込んでる私に

「京都では寝られんかったけど、こっちに帰って来たのだから明日ちょっとゆっくりねてなさい。」

ありがとう。

そうします。

寝ても寝ても母の夢ばかり。

涙出たり

飛び起きたり

自分が一体どこにいるのかわかんなくなる。

呻いて目が覚める。

「お薬の事は僕が電話で言うからとにかく寝なさい」

そう言って母に電話してキチンと今日の夜のお薬を飲ませた息子。

あんた凄いね。

と、感心しました。

私は高熱でもう話す事はしんどくて。

よほど疲れてしまったのかなあ。

前に目の前でコロナになられた人を介助したとき

私は体力あるからうつりもしなかったのです。

それがさすがに今回はダメでしたね。










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バタバタ

2025-01-04 10:20:42 | つれづれ
新幹線の中から母に電話して

お薬の事とか、ひとつずつしてもらった。

やれやれ

ちょっとバタバタ心配しましたが

妹達が引き継いでちゃんと関係各所連絡してくれてるのでヤレヤレでした。

よかったです。

ちょっと安心して帰れます。

感謝しかありませんね。

姉妹2人なので色々連携プレーで行きたいです

ちょっとホッとしました。😀✌️



何でもひとつひとつ課題クリアして行きたいですね。


やはり国東は京都よりあたたかいです

気持ちいいお天気。





きなこは見つけると走って来ました。

「どこ行ってたにゃ?」

顔をくしゃくしゃにしてやりました。(笑)

「くしゃくしゃはいいにゃ。とにかくちゅーる欲しいっちゃ」

と言うので(ほんと?)

息子からちゅーるもらってました。

いっときのようにガツガツしなくなりました。

品よくしなきゃダメよ

と、言ってます。



また通常が戻って来ました

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ひと月

2025-01-04 06:36:03 | つれづれ
母とずーっと一緒だったひと月でした

一旦国見に戻り創作にまた集中しますが

お正月

お餅を飲み込む力も少ない母には

団子粉を練り

小さなお団子作ってお雑煮とか

久しぶりにおぜんざいも食べたいと言うので

珍しく小豆買ってきたり。

休む間のない年末年始でした。

ヘルパーさんたちの人手も足りなくて

助かりますと言われひと月預かり

連れて帰り年末年始一緒に過ごしました。

ずーっと介護生活すれば創作は無理で

うまく行かないので

バランス取らなくてはなりませんけど

風邪気味な母を置いて帰るのは本当に辛い。

昨日いつもお世話になってる病院に母を連れていき

お薬も頂きました。

京都市の休日診療所はそれこそパニック状態。

電話で聞いたらコロナとインフルの皆さんが列をなし

10時からなのに10時に受付打ち切り

夕方まで長蛇の列とか。

それを電話で聞いたのでやめて

ダメ元でいつもの病院に電話したら

当直が内科の先生で、すぐ来てくださいと言ってもらい

病院は空いていて広い待合室にわずか8人くらい。

思い切り距離を置いて母を座らせ

すぐに診察してもらいお薬処方してもらいました。

ありがたかったです。

何だかラッキーでしたね。



その後は

妹に引き継ぎましたが妹は1週間は母の所に来れないみたいなので

とにかく買い物して回り

レトルトですぐ食べられるものなど、

口当たりいいヨーグルトなど買い込みました。

お薬はちゃんと仕分けました。

外はインフルの方々たくさんですから出てはいけないよと言って

観光地ですから一歩外に出ると海外の方々が昨日も行列

バス停前なので本当に大変

風邪引いてる時にヘルパーさんも妹もみんな来れないなんてちょっと辛いですね。

気になって気になって仕方ない

食材足りなくなったらどうしようかと悩み

色々考えました。

とにかくちょっと帰らなくては創作段取りも立てられない

スケジュールは既に動き出しています



「ちょっと待っててね」

と、そう母に言い聞かせ

何とか帰りましょう。

こりゃ1日何度も電話するほかありませんね。

一応三軒ほど隣のかかりつけ医院や薬局が、月曜日あきますから

先生や薬局に、電話して

誰も来てもらえないなら

お薬の管理とかは薬剤師さんが来てくださりしてもらえるので

何とかお願いするほかないなあと想いました。

かかりつけ医院がすぐそばで本当によかったです。

知恵を絞り

色々考えましょう。



私はひとつのプランを立てました。

これが無理ならあれで行く

あれが無理なら別で行く

人には豊かな智慧が与えられています

色々考えたり

また、必要な所に相談したりしながら一番いい方法を考えればそれが一番いいこと

創意工夫は

仕事や創作のためだけではないし

柔軟に楽しく考えていくことは

どんな時も必要な事ですね。

それを教えてもらったのは

叱ってくださった方です

事業でも何でも

しんどいとき、ピンチなときは

創意工夫の生まれるチャンス

不思議にいつも運が巡って来ます

昨日も本当にラッキーなことばかり。

地域病院でお正月に1時間で帰れるなんてあり得ない。

そう想いますし。

不用品見積もりにお正月駆けつけてくださることも奇跡のようなものです。

不思議にそんなラッキーなことばかり起きますのでありがたいですね

まあ何かあれば京都に帰ればいいので臨機応変に対応しましょう

私に体力気力を与えてもらっていることに

ご先祖様に本当に感謝しました。

ありがたいです。

このような不思議なことばかり起きますから

何かにまるで守ってもらっているような感覚ですね。

本当に不思議です








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繋がる愛 溢れる愛

2025-01-03 22:48:14 | つれづれ
娘家族

次男夫婦

長男

孫たち

みんなで顔を合わせた。

今年からは誰かの家で集まるのではなく

外で会うことになりました。

まあ人数増えたのと京都のうちは手狭ですから。

国見で集まれたらいいのになあとは想いながら

仕事やら学校やらでなかなか休みをすり合わせるのも大変ですね。

それでも笑顔を見ると嬉しくなる。

みんな今年も元気でいてねと想います。

来年はもう少し早めにどこか落ち着いた場所を予約してのんびり会いたいねと話しました。

お正月を少しずらすのもいいかもしれませんね。

次男夫婦の何とも言えないのんびりした仲良しぶりに

あれは似たもの夫婦なのかしらねえ。と娘に言いました。

娘も嬉しそうに笑いました。

骨折していた娘の歩き方を見てましたらだいぶ普通になってましたので

ちょっとホッとしました。

いろんなことが人生起こりますから

それをひとつひとつ乗り越えて明るく過ごせるようにしたいものです。

孫たちの食べる様子を見てるとやっぱり幸せな気持ちになります。

どんなに大きくなっても可愛いものは可愛い。

ついつい笑い顔になりますね。

私のいる国見に行きたいと言ってくれることも嬉しい。

そうねえ。また予定すり合わせましょうね。

母は風邪気味なので会うのはやめておいて



実家の整理をしていたら

アルバムにあった1枚の写真

思わず剥がして持って帰った。

幼い日の私と妹。

可愛くて可愛くて仕方なかった時期。

今日母が

年をとって迷惑ばかりかけて情けない

と言ったので

「はい、お母さん。こんな気持ちのときどう言うの?」

とふりました。

そしたら母は思い出したようににっこり笑ってこっちを見て

「ありがとう。あんた、がんばりや」

そう言いました。

それでいいんです。

それで。

私と妹の事をどんなふうに見てくれていたのかなぁとかそんな事をふと想います。

歳をとれば身体も動きにくくなるし

よく忘れたりするようになります。

そんなものは誰しも通る道なんです。

段々と年を取り

頼りなく歩いたりする母の姿を見ていると

時々涙が出そうになる

私と妹を育てるのは大変だったろうなあと。

特に私は変わり者でしたから

どこに行くかわからない

それこそ予測不能な子どもでした。

妹との写真見てると泣けてきました。

ちょっとくらいしんどい事や色々あったって

大丈夫だよなあ。と、想いました。

妹はきっと今はいっぱいいっぱいなんだろうなあ。

身体壊さないようにしてほしいなあと想いました。

この1枚の写真を剥がして

次に若い頃の父と母の写真も剥がしました。

知らない間にそれを握りしめポケットに入れました。

ありがとうございます

そうつぶやきました。



さてどうしようかと悩んでたら

以前ひょんなことから

府警の刑事さんを通じて知り合った社長さんが

お正月三賀日の3日だと言うのに

不用品の山を見に来てくださった。

そして黙って色々見て

見積もり取ってくださいました。

それが何とも予想よりも安かった。

ああまた、助けて頂いたなあ。

と、想いました。

母が

「お金ばかり使わせるねえ」

と、ふと言うので

私はまた、笑って母に

「そんなときどう言うの?」

と、聞きました。

そしたら母は

また慌てて顔を笑顔にして

「ありがとう。あんた、がんばりや。」

そう言いました。

がんばるよ。

私はがんばるよ。大丈夫だからね。

そう言いました。



私は若い頃から

望んだ進路に行けなかった事や病院に入院ばかりの母のことや家の台所仕事、料理から掃除までしなきゃいけなかったことを

しんどかったな

みんながスキーとか、旅行とか楽しんでた時に全く遊ぶことさえできなかった等と思ってた時期がありました。

つまり不満に思ってました。

ある時その事を真剣に叱ってくれる人がいました。

私はその事を一生忘れないし感謝しています。

そんな些細な若い頃の事など何のこともない。

何もなくても、進路が断念したって

私は元気で生きています。

それこそ奇跡のようなものですね。

その事を真剣に感動して

たとえ遊んだ経験がなければ想像の翼を広げればいいだけだ。

想像の翼はどこまでも無限の世界。

私は想像し創作し表現することができるのですもの。



母に言いました。

「私は財産とかはないかもしれない。でもな、私にはめちゃくちゃ面白くて素晴らしい想像の翼が付いてるねん。お母さん、見えるか?」

母は怪訝な顔をしながら笑いました。

「やっぱりケッタイな子やなあ」

このケッタイな子は

あなたの最高傑作になるよ

と、笑いました。

「夢と希望が吹き上がるみたいな、ケッタイな最高傑作になるんよ。面白いで」

そう言うと母は

「ほんまにアホやなあ」

と、笑いました。

それでいいんです。

この前母に国東の櫛来の母と言ったみっちゃんが、うちの母に言いました。

「お母さん、この子には翼が生えてるのよ❢天使の羽がついてるの。見える?」

涙浮かべてみっちゃんはうちの母に言いました。

「こんな体重の天使がどこにいるっちゃ?」

というと

みっちゃんは私の背中を何度か叩いて笑いました。

京都弁と国東弁が混じりました。

何でかわからないけど泣き笑いしていました。

私はこの地で

愛のこもった微笑みをもたらすような作品作る

そう決意しました。




ポケットに手を入れて

私は古い小さな写真の存在を確かめました。

忘れないよ

と、想いました。

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