奥能登に道を開いた麒山瑞麟(きざんずいりん)和尚を知らぬ人は恐らく、地元にはいまい▼石川県輪島市曽々木と珠洲市真浦の間の海沿いには通行の難所があり「能登親しらず」と呼ばれた。昔、人々は波が押し寄せる絶壁を岩伝いに、海を背にしてカニのような横歩きで進んだが、命を落とす人も絶えなかったという▼江戸時代、近くの寺の8代住職である麒山和尚が道の建設を決意し、まずは托鉢(たくはつ)行脚で資金を募った。10年を超す工事を経て、道は完成した。今でも功績をたたえる祭りが開かれている(藤平朝雄、渋谷利雄著『能登燦々(さんさん) 百景百話』)▼かつての麒山和尚のように、道の開通を祈る日々が続く。能登半島地震による道路の寸断は能登各地に残り、まだ2千人以上が孤立状態にあると聞く▼断水、停電がなかなか復旧しないのは道路寸断のせいでもあろう。被災地の施設で暮らしてきたお年寄り30人が昨日、自衛隊機で愛知に避難した。病院での診察を経て施設に入る方向という。環境の厳しい能登で心身を疲弊させ死に至るのを防ぐため、高齢者らに安全な地に移ってもらう。これから本格化するようだ▼先の本によると、麒山和尚は道の建設に立ち上がった際、ひたすら座るのも禅なら、人々の救済に身を捧(ささ)ぐのも禅と考えたという。能登で汗を流すのも支援なら、離れた所で寄り添うのも支援。平たんでない道は共に歩みたい。