交通不便な奥能登に能登空港が誕生したのは2003年7月7日。半島の飛躍を星にも願えるはずの七夕だが、あいにくの雨だった。それでも翌朝の北陸中日新聞(金沢発行)からは熱気が伝わる▼「能登空港 悲願の開港」「正夢 希望の翼に感動」といった見出しが躍る。見物人も多く、ターミナルビルは約1万8千人でごった返したと記事にある▼満席の羽田発1番機が到着すると歓迎式が開かれ、奥能登出身の機長に花束が贈られた。到着ロビーでは温泉旅館の仲居さんらも出迎え。滑走路を見渡すデッキも人で埋まり、能登発1番機の出発に地鳴りのような歓声が上がったという▼能登空港と羽田を結ぶ民間機の運航が今日、再開される。能登半島地震で滑走路には亀裂が入った。緊急補修で自衛隊機の利用は既に始まっていたが、民間航路もようやくである▼当面は週3日、1日1往復。きっと支援関係者の利用も多かろう。朝市が立った輪島の町が焼けるなど観光客が戻るのはまだ先だろうが、能登は前に進んでいるのだと思わせる翼の復活である▼有名な「能登はやさしや土までも」という言葉を広めたのは旅人。加賀藩の武士は、宿の主人に「今日はめでたい節句だから」と草餅や桃酒を振る舞われたことを喜び、能登はやさしやというが本当にその通りだ-と日記に書いている。それを確かめる旅にいつかと願う。