エーリヒ・ケストナーの『飛ぶ教室』(岩波少年文庫)にこんな少年が出てくる。学校の寄宿舎で生活しているが、家が貧しく、汽車賃が用意できないので、クリスマス休暇にも家族の元に帰れない▼「泣くこと厳禁、泣くこと厳禁」。少年の寝言を聞いた舎監の「正義先生」の優しさが今読み返してもうれしい。少年に汽車賃を渡す。「返す必要はない」▼親元を離れて暮らす心細さを思えばこちらの飛ぶ教室は胸が痛い。能登半島地震で大きな被害を受けた石川県輪島市の中学校3校の生徒約250人が集団避難した。授業再開のめどがつかないとあってはやむを得ない判断だろう▼約100キロ離れた白山市で暮らすそうだ。無慈悲な震災が恨めしい。ほんの少し前、家族でクリスマスムードを楽しんでいたはず。それが一転、集団避難とはあまりに過酷な変化である。生徒たちの心の負担が心配になる▼胸に抱えるのは寂しさばかりではあるまい。現地に残す形になる家族への心配や、復旧の見えぬ現地に将来の不安を覚える生徒もいるだろう。高校受験が迫る生徒もいる▼最長で2カ月間の集団避難になるという。<学童の疎開の空にさくら咲き>林美佐保さん。本紙に以前掲載された「平和の俳句」にあった。戦争中の疎開とは事情は違うが、さくら咲く季節が待たれる。そのころには少しは落ち着いた現地であってほしい。
「妻と義母」は1915年、英国の漫画家が発表した有名な「隠し絵」で、見ているとなんだか落ち着かなくなる▼若い女性の横向きの顔が見えるが、その首元あたりを見ていると、今度は年老いた女の人の顔が見えてくる。1枚の同じ絵なのに、異なる顔が浮かび上がる▼選挙結果に異なる「妻」と「義母」の顔を見ている気になる。台湾総統選である。対中強硬派で中台関係の「現状維持」を訴えた民進党の頼清徳氏が当選した。中台統一をにらむ中国に対し、頼氏の強硬路線に一応の軍配が上がった▼ただし、別の「絵」が見えなくもない。勝利したとはいえ、敗れた「融和路線」の2候補の得票数を合わせれば頼氏の得票はそれを大きく下回る。同時に行われた立法委員(国会議員)選挙では野党勢力が議席を伸ばし、民進党は過半数を維持できなかった。選挙結果を1枚の絵としてとらえれば中国に対し、にらみつけるかのような有権者の顔と同時に少しほほ笑んだ顔の両方が複雑に入り交じっているかのようである▼1枚の絵の中に間違いなく描かれているものがあるとしたらそれは台湾有事に対する有権者の強い不安である。今後、中国が台湾への圧力を高める可能性もある▼台湾海峡の緊張緩和に向けてどう動くか。頼さんの好物は甘いタピオカミルクティーとか。残念ながらその飲み物とは違い、甘くない道が待つ。
サッカーのイニエスタ選手の宝物は古びたサッカーシューズだそうだ。幼いころ、父親が貧しい生活の中、給料3カ月分をはたいて買ってくれた▼昨年亡くなったイングランドの英雄、ボビー・チャールトンさんは母親がサッカーを教えた。子どもの夢を応援する優しい親。サッカー選手にはこうした逸話が多い▼選手、監督として母国を2度のワールドカップ優勝に導いた方の事情は少し異なる。ドイツの名選手「皇帝」フランツ・ベッケンバウアーさんが亡くなった。78歳▼子どものころからサッカーの才能を見せたが、郵便局に勤める父親はその道に反対した。経済的事情があった。第2次世界大戦終戦の1945年生まれ。故郷ミュンヘンはその年、大空襲を受けた。困難の中、父親にはサッカーが浮ついたものに映ったか。時代が悲しい▼「強い者が勝つのではない。勝った者が強いのだ」。74年ワールドカップのオランダとの決勝戦では開始早々、オランダに先制点を奪われながらも逆転勝利。父親の反対もそうだが、その人はどんな逆境も冷静さと決意で切り抜けて、最後には「勝つ者」になってきたのだろう▼つまらぬことを思い出す。70年代半ば、当時の子どもは「皇帝」愛用のアディダス製品に憧れたが、手に入れた物をよく見ると、だいたい、アドドスとかアディオスと微妙に異なるブランド名が記されていた。
写真家篠山紀信さんに撮られる時はどんな心境なのか▼葉月里緒奈さんは「魂を吸い取られるような気持ち」などと言う。写真家には納得できぬポーズを強いる人もおり、そんな時は「途中で帰る」と語る女優も篠山さんとは衝突しなかったという▼「写真に撮られるって、実際に裸にならなくても裸になることじゃないですか」「心が通じ合わない人、馴(な)れていない人の前で、心を裸にするなんてできないはずですよね。人間の内面は、恥ずかしいものでしょう?」。篠山さんには心も見せられたよう。作家大岡玲さんが密着して書いた『篠山紀信 目玉の欲望』から引いた▼篠山さんの訃報に接した。葉月さん、宮沢りえさん、樋口可南子さん、本木雅弘さんら数多くの俳優のヌードを撮った人▼大岡さんの著書によると「すりよってもだめ、怒鳴ってもだめ。結局、誠心誠意被写体と渡り合う。畏れを持ちながら、一緒に動く」と語っていた。持ち続けたのは被写体への敬意と愛情のようだ。アフリカ系女性に見えるモデルが乳房の手術痕のようなものをあらわに、硬い表情で立つ作品もあるが「美しいと感じたから撮った」と話していたという▼「ぼくが撮りたいのは裸そのものじゃないんです。存在そのものの美しさっていうとキザだけどさ、ま、そういうことなんだよね」。人間そのものを見つめ続けた人だったのだろう。