「人をバカバカ言うやつは自分のバカを知らぬバカ、って言うんだよ。ママ知ってた?」娘が言う。「しらなーい」と答えると、「子持の友達はそんなのみんな知ってるよ」だって。周りの大人に言われるんだろう。そういえば田舎に引っ越してきてから娘がことわざやら言い伝えやらを良く使うようになった。
「ママ、北はどっち?」
この間のこと。布団を敷こうとした娘「北」が気になったらしい。「だって、北枕は死んだ人の向きでしょう」。そうして姉のところに電話をかけ、わざわざ方角を確認してから布団を敷いていた。爪を切ろうとした私に「ママ、出る前に爪を切るのはやめたほうがいいんだって」と言う。そういえば「出詰め」の意味から縁起をかついで出がけに爪を切るもんじゃないと、母に教えられた覚えがある。夜には「夜、口笛を吹くとへびが出るよ」などと言うし、「くつしたを履いて寝ると親の死に目にあえない」と言って、娘は寒くても必ずくつしたを脱いで寝る。
・・・。
こうして伝えるんだ、と何だかふと思った。理屈抜きに親が子に伝えるべきことってあるんだと思う。「なぜか」が説明できなくても「そういうもんだ」と言い、伝えるべきことがあるんだと思う。親が言うんだから聞け!みたいなもの。それを昔の人は昔話などでとても上手に伝えていたんだー。小さな子どもには心の栄養になるような話しをたくさんしてあげたいね。
そうそう、「Allways3丁目の夕日」で。親に捨てられた淳之介くんが母親に会いに行った時、「(淳之介のおかあさん)いますか」と言う子どもに、店の主人が「大人がいないって言ってるんだから、いないんだ」と言うセリフ、心に残った。子どもにとっては理不尽だったろう。でも、それが現実の社会。私たちは「だめなものはダメだ!」と子どもに言い切れる大人だろうか。「大人なんだから子どもが納得するように説明しなければ」などと利口な親になろうとしていないか。理屈では説明できないものを子どもには受け止める力がある。感覚で生きている子どもには、感覚で伝えることも大事なんだと改めて思う。
子どもの目、子どもの好奇心、子どもの素直さ、大胆さ。昔も今も変わらない。そして、理不尽な世の中も、変わらない。
「ママ、北はどっち?」
この間のこと。布団を敷こうとした娘「北」が気になったらしい。「だって、北枕は死んだ人の向きでしょう」。そうして姉のところに電話をかけ、わざわざ方角を確認してから布団を敷いていた。爪を切ろうとした私に「ママ、出る前に爪を切るのはやめたほうがいいんだって」と言う。そういえば「出詰め」の意味から縁起をかついで出がけに爪を切るもんじゃないと、母に教えられた覚えがある。夜には「夜、口笛を吹くとへびが出るよ」などと言うし、「くつしたを履いて寝ると親の死に目にあえない」と言って、娘は寒くても必ずくつしたを脱いで寝る。
・・・。
こうして伝えるんだ、と何だかふと思った。理屈抜きに親が子に伝えるべきことってあるんだと思う。「なぜか」が説明できなくても「そういうもんだ」と言い、伝えるべきことがあるんだと思う。親が言うんだから聞け!みたいなもの。それを昔の人は昔話などでとても上手に伝えていたんだー。小さな子どもには心の栄養になるような話しをたくさんしてあげたいね。
そうそう、「Allways3丁目の夕日」で。親に捨てられた淳之介くんが母親に会いに行った時、「(淳之介のおかあさん)いますか」と言う子どもに、店の主人が「大人がいないって言ってるんだから、いないんだ」と言うセリフ、心に残った。子どもにとっては理不尽だったろう。でも、それが現実の社会。私たちは「だめなものはダメだ!」と子どもに言い切れる大人だろうか。「大人なんだから子どもが納得するように説明しなければ」などと利口な親になろうとしていないか。理屈では説明できないものを子どもには受け止める力がある。感覚で生きている子どもには、感覚で伝えることも大事なんだと改めて思う。
子どもの目、子どもの好奇心、子どもの素直さ、大胆さ。昔も今も変わらない。そして、理不尽な世の中も、変わらない。