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今週はめちゃめちゃ忙しかった。なのに娘は春休み。だからこそ輪をかけて忙しかった(?)久しぶりに、夜、私の予定が入っていなかったので「天然温泉 大宮やまとの湯に行こう!」と娘と約束。それでも5時過ぎから、お客様とのやり取りやら雑務に追われて気がついたら6時半。「やれやれ、きりがないのでもういい加減出かけよう」と、仕事を早々に切り上げて近所の温泉に癒されに行くことにした。
春休み。
温泉は「平日のいつもの温泉」とは雰囲気が違った。「くらしの中のお風呂」といった慣れたお客さんが多い平日の温泉とは違い、レジャー客(?)が多い非日常の雰囲気。嫌な予感・・・。ギャーギャーとうるさくて、マナーも悪く「癒し」どころかあれこれ気になって落ち着かないのではないの?とロッカーに入ってすぐに悪い予感がした。
予感は的中した。
「温泉」というところは本当に面白い。
群馬で日常的に温泉を「銭湯」として利用していた私と娘にとっては、都会の「レジャー温泉」に訪れる人のマナーの悪さに驚いてしまうことがしばしば。今日もそんなおばあちゃんとお孫さんに出くわしてしまった。
露天風呂でのこと。
70歳くらいのおばあちゃんが幼い子ども二人を連れてやってきた。子どもたちはお風呂に入るなり、ようやく背の立つプールでするようにお風呂の中でぴょんぴょんと跳ね始める。時間が経つに連れ、これでもかとジャンプの高さを増し、手もバチャバチャさせてより賑やかに湯船の中でとぴ跳ねた。それまで何も言わなかったおばあちゃん、ジャンプをしながら子どもたちが私と娘の近くに来たところでこう言った。
「人の近くで飛び跳ねたらダメ!こっちでやりなさい!」
私と娘、「えっ?」。顔を見合わせる。
違うんじゃない?しかり方。娘、「飛び跳ねたところで叱るべきだよ!」と呆れている。たまに遊びに来る温泉だからいい、のか、子どもだからこのくらいいい、のか。人の目の前で飛び跳ねなければたいして迷惑かけないだろうからいい、のか。私にはこのおばあちゃんが子どもを叱らない理由がわからなかった。
子どもは楽しいことをしたい。
子どもは直感的に、それが本当にいけないことだと「人としての心」から思わないと辞めない。
その後もおばあちゃん「やめなさい」と何度か言ったけれど、大人の私にも、その言い方からはやめなければいけない理由がちっとも伝わってこなかった。その湯船から私と娘が出るときには「ほら、お前たちがうるさいから出ていっちゃった」と言うし、体も拭かずびちゃびちゃのままでロッカールームに戻るし。
マナー。
大人が子どもに教えるべき公共のルールってのが世の中にはいっぱいある。(と私は思う)なのに、大人がそれを「叱る」という形で教えなければいけない場面でも子どもたちにきちんと伝えられない、そんなことを目の当たりにした今日の体験。私は今まで娘にどのようにして「公共性」を教えてきたのだろうと考え込むような体験だったよ。
私にも出来ないことはたくさんある。
だけれども、自分を棚に上げても子どもにきちんと言うべきことは言い、伝えていかなくちゃ。子どもが「人」としてきちんと理解して感じるような教え方をしなくちゃ。何よりも子どもをひとりの人間として見て扱い、自分で考えさせる機会を作らないと。
そのために、大人である私は、ちゃんと自分の考えを持ち、多様な人と作り上げる社会の一員として人生を楽しまないと!さらに、やはり子育ては「家族」だけでできるもんじゃない、と思う。
【今日の名言】
『日本の子供には、もっと孤独を教えないと、思想は生まれませんね。』
川端康成
【写真】朝ごはん
最近の我が家のお味噌汁は煮干とかつおのダシ。いけるんだな~。なのに娘「今日の味噌汁の具、キャベツとわかめは合わない。ゴメン、まずい!」だと。カッ!
有限会社E-スタヂオ
BLOG版-ちょっと得するパソコン講座
埼玉県のグルメ&逸品
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春休み。
温泉は「平日のいつもの温泉」とは雰囲気が違った。「くらしの中のお風呂」といった慣れたお客さんが多い平日の温泉とは違い、レジャー客(?)が多い非日常の雰囲気。嫌な予感・・・。ギャーギャーとうるさくて、マナーも悪く「癒し」どころかあれこれ気になって落ち着かないのではないの?とロッカーに入ってすぐに悪い予感がした。
予感は的中した。
「温泉」というところは本当に面白い。
群馬で日常的に温泉を「銭湯」として利用していた私と娘にとっては、都会の「レジャー温泉」に訪れる人のマナーの悪さに驚いてしまうことがしばしば。今日もそんなおばあちゃんとお孫さんに出くわしてしまった。
露天風呂でのこと。
70歳くらいのおばあちゃんが幼い子ども二人を連れてやってきた。子どもたちはお風呂に入るなり、ようやく背の立つプールでするようにお風呂の中でぴょんぴょんと跳ね始める。時間が経つに連れ、これでもかとジャンプの高さを増し、手もバチャバチャさせてより賑やかに湯船の中でとぴ跳ねた。それまで何も言わなかったおばあちゃん、ジャンプをしながら子どもたちが私と娘の近くに来たところでこう言った。
「人の近くで飛び跳ねたらダメ!こっちでやりなさい!」
私と娘、「えっ?」。顔を見合わせる。
違うんじゃない?しかり方。娘、「飛び跳ねたところで叱るべきだよ!」と呆れている。たまに遊びに来る温泉だからいい、のか、子どもだからこのくらいいい、のか。人の目の前で飛び跳ねなければたいして迷惑かけないだろうからいい、のか。私にはこのおばあちゃんが子どもを叱らない理由がわからなかった。
子どもは楽しいことをしたい。
子どもは直感的に、それが本当にいけないことだと「人としての心」から思わないと辞めない。
その後もおばあちゃん「やめなさい」と何度か言ったけれど、大人の私にも、その言い方からはやめなければいけない理由がちっとも伝わってこなかった。その湯船から私と娘が出るときには「ほら、お前たちがうるさいから出ていっちゃった」と言うし、体も拭かずびちゃびちゃのままでロッカールームに戻るし。
マナー。
大人が子どもに教えるべき公共のルールってのが世の中にはいっぱいある。(と私は思う)なのに、大人がそれを「叱る」という形で教えなければいけない場面でも子どもたちにきちんと伝えられない、そんなことを目の当たりにした今日の体験。私は今まで娘にどのようにして「公共性」を教えてきたのだろうと考え込むような体験だったよ。
私にも出来ないことはたくさんある。
だけれども、自分を棚に上げても子どもにきちんと言うべきことは言い、伝えていかなくちゃ。子どもが「人」としてきちんと理解して感じるような教え方をしなくちゃ。何よりも子どもをひとりの人間として見て扱い、自分で考えさせる機会を作らないと。
そのために、大人である私は、ちゃんと自分の考えを持ち、多様な人と作り上げる社会の一員として人生を楽しまないと!さらに、やはり子育ては「家族」だけでできるもんじゃない、と思う。
【今日の名言】
『日本の子供には、もっと孤独を教えないと、思想は生まれませんね。』
川端康成
【写真】朝ごはん
最近の我が家のお味噌汁は煮干とかつおのダシ。いけるんだな~。なのに娘「今日の味噌汁の具、キャベツとわかめは合わない。ゴメン、まずい!」だと。カッ!
有限会社E-スタヂオ
BLOG版-ちょっと得するパソコン講座
埼玉県のグルメ&逸品
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戦後、先生が子供に手を出せなくなってから、人生の
厳しさを知らない子供達はやりたい放題、青少年の犯罪や
いじめを苦に自殺する子も増え、このまま行ったら
どんな世の中になるのか?と心配です。
先生の休暇が少ないと、ゆとりの教育が始められ、学力が
落ちたと、嘆き悲しみ、塾通いをする子供達を見るにつけ
何かが間違っていると思わざるを得ません?!
でも、頓先生の教育はこのブログを見る限り間違っては
いないとと思います。自信を持って頑張って下さい!
そして書きだめたブログの本の出版を一日も早くしてください!
本当に子どもの叱り方は難しいです。いろんな大人のいろんな言葉で子どもたちにたくさんのことを伝えてあげたいですー。
映画監督の小栗公平さんが「戦後、経済的に豊かになっていく中で、豊かになった多くの人たちが忘れてしまったものがある。それは今でも、高度経済成長の恩恵を受けずにきた人たちが持っているもの」と言うようなことを語った記事を読みました。
すごくわかる!
私の友人である多くの子どもたちはそれを持っているし、きちんと語れば受け止める「心」も持っていると感じます。
これからの日本がどんな「美しさ」を持った国になるのか、私は子どもたちに期待したいし、それを本気で考える大人でありたいと私は思う。子どもにはできず、大人にはできることってありますよね~。私に出来ること、ちゃんとやって行きます!
ブログ本、本気で何とかしますね!!
本当にいつもありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。