競争は絶対に必要である。 『談合は必要だ』というのも、『競争は不要だ』という意味ではない。 無競争は必ず、企業も人間も堕落させる。
民業を一度もやらず、税金で生涯生活保障されている者たちが作った経済ルールを、金科玉条のごとく奉り、批判することすら許さないことがおかしい、と言っているのだ。 野球もサッカーもやったことのない者たちが、野球やサッカーのルールを作っている。 それが現在日本の経済法制度である。
重要なのは、競争のルール。 逆に、自由に競争さえすればよい、というのは、戦国時代である。 皆殺し戦争こそ、究極の自由競争だから。
情報公開という大原則からみると、談合の『悪』の部分でもっとも大きな問題は、密室性と閉鎖性にある。
旧談合では、指名入札が新規参入を制限する障壁になっていた。 そして参入後も、指名を外されず、より儲けの大きい工事を受注するには、発注者、先生方に多額の謝礼が必要だった。 さらに、予定価格などの重要情報を隠すことも、おいしい打ち出の小槌になった。 現業の役人はお小遣い稼ぎ、幹部クラスは将来の天下り、先生方は選挙時の人出しや政治献金などの見返りである。
だから、談合破りは徹底的に嫌われた。 指名は外されるは、罵声は浴びせられるは、さらには、材料業者に圧力をかけ、材料を売らないよう工事妨害までやられた(隣県から仕入れて工事を完成させたが)。
ほとんどの業者は、贈収賄のような裏営業を喜んでやっているわけではない。 内心忸怩たる思いをしながら、しょうがなくやっている。 積極的にやっている者(ボスクラスの業者)でも、やらないと生き残れないかもしれない、という恐怖心が心の底にある。 この心境は、生活保障を外してみなければわからないだろう。
ルールに欠陥があるから、不健全な、だれも望まない競争が跋扈する。 しかし、業者にはルールを変える力も権限もない。 だから、世間の関心が少しでも集まるよう、ブログを書き、著書を出版している。
今日も読了ありがとうございました。 おやすみなさい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます