永崎士道の建設業徒然なるままに、時々国防とグルメも

主に建設業の話題を書きたい。
私自身建設会社の社長だったので、
業者贔屓の発言も大目に見てください。

現場、戦術、部品、庶民の国際競争力は超一流だが・・・(その1)

2012-06-11 | 組織論
『自虐史観から決別する方法』に、知人から異見がありました。今日は返答という形で、日本の組織文化論を少し書いてみたいと思います。
談合(カルテル)ブレーンストーミングは、またお休みで申し訳ありません。

異見があったのは、『日本の思想はすべ外国からの借りモノである』というところ。

知人に言わせると『江戸時代までは中国⇒日本の流れで文化が伝わったが、明治の開国以降は日本⇒中国と逆転している。たとえば、現在中国で使用される漢字の3割程度が日本からの逆輸入であり、法律、経済学などの社会科学系専門用語はほとんどすべてが日本が教えてあげたものだ』という。

たしかに、彼の言うとおりである。
自虐史観から決別する方法(その1)で推薦した、黄文雄、金文学、キム・ワンソプ三先生だけでなく、多くの専門家がそのことを指摘している。もっとも、中韓では全く知らされていないが。
ただし、私が言う思想とは、体系化された製品あるいは設計図のような学問のこと。漢字のような個々の部品あるいは線分のような知識のことではない。

もちろん、ヨーロッパの言語、概念を翻訳することは、西周ら明治の俊英たちの思想的推敲なくしては不可能であったろう。その意味で、翻訳漢字(たとえば、philosophyを哲学と訳したのは西周)は、彼らの思想が凝縮されたアトムのようなものである。しかし、構造体系をもった物質ではない。さらに、その思想自体の多くが、中国から学んだものであった。だからこそ、中国人も日本の翻訳漢字をそのまま使えるのである(それ自体凄いことだが)。

そして、世界(宇宙)を論理的、包括的に説明する体系的学問となると、やはりほとんどすべてが外国からの借りモノである。
たとえば、宗教は人類が生み出した最も古い宇宙論であり、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教、仏教、ヒンズー教などほとんどの宗教にオリジナルな宇宙観がある。ところが、日本オリジナルの宗教、神道には宇宙論だけでなく文書化された教義自体が存在しない(日本人は昔から阿吽の呼吸文化だった)。

今日はここまでにします。これはまた引き続き論じたいと思いますが、明日からは談合(カルテル)に戻ります。
おやすみなさい。

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