『性善説でも、性悪説でもない。あえて言うなら性弱説』。 京セラの稲盛会長の言葉である。 人間は悪の部分も善の部分も持っている。 ただ、確実に言えることは、人間は弱いものだ。 悪を誘引する環境では悪が頭を出し、善を導く環境では善をおこなう。 だから制度設計は、人間の悪を押さえ善を誘導するものにしなければいけない。
京セラの監査法人にいた公認会計士から聞いた話だが、社員数十名の時から、京セラでは経理を複数の人間でやっていたそうである。 経理を一人の人間に任せっぱなしにして、不祥事を起こす企業が後を絶たないが、稲盛会長の『性弱説』の思想がもっとも生きていると思う。 現金を目の前に置きっぱなしにするようなことをやっておいて、盗んだ人間だけが悪いというのは管理者の怠慢であろう。
最近はパソコンのおかげで効率化が進んだが、電卓時代の経理は実に飽きる仕事だったと思う。 簿記一級で帳簿作成を一通りやったが、技術系の仕事に比べて本当に面白味がない。 そして、経理実務を担当する女子事務員の給料は、中小企業なら手取りで十数万円程度。 ところが、帳簿上扱っている金額は、給料よりゼロが二つも三つも多い。 これで誘惑に負けるな、という方が酷だと思う。
地元では大手の建設会社の社長も、『だいたい4、5年すると使い込みする奴が出てきて馘にする』と言っていたが、経理を一人任せにず、相互監視体制を作るのはなかなか大変なことだ(社長自身の人徳の問題もあるが・・・)。
ただ、『性弱説』を偽善的だと感じる人も少なくないようだ。 しかし、奴隷制度を持ったことのない日本人が、グローバル時代に適合した制度設計をする思想として最も適切だと思うが、どうだろうか。
今日はここまでにします。 ところで、知り合いから、『談合ブレストで経済学の話をするのもいいが、別枠で素人にわかりやすく経済理論を説明して欲しい』と頼まれました。 明日から『超入門経済学』というカテゴリーで経済理論をできるだけわかりやすく説明したいと思います。
おやすみなさい。
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