『アメリカン』はその後、また行方知れず・・・
動物は自分の死ぬ姿は見せないと言う。
しかし、どうかまだ死なないで元気を取り戻してほしい。
シロは我が家の飼い猫、毎晩11時頃、決まって外に飛び出していく。
計ったように日付けが変わる頃ご帰還。玄関の外で戸を開けろと鳴く。
ご近所の猫たちとミーティングをしているらしい。
1年365日、毎日飽きずによく続くものだと感心している。
たまに出掛けない夜があると、そんなときにかぎって雨が降っているー。
シロとアメリカン~飼い猫と野良猫、本当に幸せなのはどちらだろう。
ミーティングの席で当人同士に訊いてみる以外にはわからない。
動物は自分の死ぬ姿は見せないと言う。
しかし、どうかまだ死なないで元気を取り戻してほしい。
シロは我が家の飼い猫、毎晩11時頃、決まって外に飛び出していく。
計ったように日付けが変わる頃ご帰還。玄関の外で戸を開けろと鳴く。
ご近所の猫たちとミーティングをしているらしい。
1年365日、毎日飽きずによく続くものだと感心している。
たまに出掛けない夜があると、そんなときにかぎって雨が降っているー。
シロとアメリカン~飼い猫と野良猫、本当に幸せなのはどちらだろう。
ミーティングの席で当人同士に訊いてみる以外にはわからない。
猫と人間、本当に幸せなのはどちらなんでしょう・・・。
以前クロというきじ猫を飼っていましたが18年間一緒に暮らしました。我が家の引越しという猫にとっても一大事を見事乗り越え、その最後は人間とおなじ畳の上で大往生でした。もうここまでくると猫であって猫ではないんですね。人に人生があるように猫にも猫の一生があり猫の言い分を訊いてあげなければ答えは早急に論じ合えないように思えます。松谷さんの現代民話考を読むほどに猫はいいなぁと思います~猫は死に目を見せないけど犬猫の死に場所ってほんとはあるんですよって投書を紹介していました。
家も2000年まで猫を飼ってました。1997年頃の暮に、会社に迷い込んできた子猫がとても人懐っこくて可愛かったので、子供の遊び相手にと思って連れ帰りました。
我が家には知的障害のある子がいて、遊ぶ友達もいませんので、おもちゃにならないかと思いました。
借家ですので基本的には、動物は変えないのですが、大家さんに頼み込んで特例を認めてもらいました。おとなしく、何をされてもじっと堪え、かじったり、噛んだりは絶対にしませんでした。そんな、おとなしく性格の良い猫で、人見知りを絶対にしませんでした。おとなしいので、名前は「おと」にしました。
夜になると、幼い頃の事を思い出すのか、家族のそばに来ては、あごをかじりながら、喉を鳴らして前足で母乳を押すようなしぐさをします。雄猫ですので避妊はしてありましたが、外へ出ては喧嘩をしてきたり、皮膚病になったりで家内が何度も獣医のもとに通いました。外から帰ると、鍵の掛かってない窓を開けて入ってきます。家の中でも、障子や襖を上手に開けます。そして、本当によく障害のある子のおもちゃになってくれました。まるで、この子の介護の為にいてくれるようだねと家族が感謝していました。こんな珍しく性格の良い猫でしたが、拾ってきて2年くらいだったでしょうか、急に元気が無くなって動かなくなりましたので、獣医さんに連れて行って検査してもらいましたら、胸を強く蹴られたようで、肺から出血が続いていたようです。すぐに入院させましたが、治療のかいなく二日後に出血した血が肺を覆ってしまい、呼吸が出来なくなって、絶命しました。家族みんなで引き取りに行って、皆で泣きました。ダンボールの箱に毛布を敷いて、花を飾り「おと」が好きだった、キャットフードの缶詰を供えました。一番遊んでもらった子は、「おと」が死んだ事が解からずに、硬直した「おと」を箱から出しては、抱いていました。翌日、火葬場で焼いてもらいました。本当に短い生涯でしたが、私たち家族にとってかけがえのない日々を過ごさせてくれた猫でした。
【おと】の話、涙なしでは語れませんね。こちらまでつい貰い泣きしてしまいます。猫は大人になっても子猫の記憶が残っていて、甘えるとお母さん猫のおっぱいを揉むしぐさをするんですね、ウチの【シロ】も両の前足でグイグイやっています。5年前、18年間一緒に暮らした【クロ】は老衰で死にましたが、やはり【おと】と同じように犬猫の火葬場で焼いあげました。 果たして偶然でしょうか、近所の伯母の家で20年飼っていた犬の【タロー】がちょうど【クロ】の5日前に死んだので、いつも両家揃っての恒例行事、毎年墓地へお線香を焚きに行きます。
では、【現代民話考第10巻】から短い話をひとつどうぞ~
*群馬県前橋市。昭和20年頃、私の祖母は一人暮らしをしていた。戦中戦後の食糧難は75歳の祖母を飢えさせた。祖母は気丈に、庭中を畑にして頑張っていた。祖母が可愛がっていた猫のミイは鯛やハムの丸ごとをくわえてくるようになった。ミイは半分位自分で食べ、残りを祖母が食べおえるまでじと見守っていた。近所に戦争成金の軍関係の建築屋があった。その家は周囲は高い塀をめぐらし、その中でどこから手に入れるのか闇物資を集めぜいたくな暮らしをしていた。ミイはそれを台所口からしのぶこんではくわえてくるのだった。(回答者群馬県在住、○○△□)
おともクロも家族の一員、心の中でずっと生き続けて居ますね。(^-^)/
私にはたとえ人間が居ても居なくても猫には猫の自由な生き方があり、その中で、ある猫(おとやクロのように)にとっては人間と上手に暮らして十分幸せで居ただろうし、また逆にある人間にとっては猫に寄り添い癒されていたりと・・・さまざま。結論は将来、猫が人間の言葉で話すようになってからのお楽しみとでもしておきましょうかー。(^-^)v