今年の通り抜けは4/8~4/15だったのですが
このところ大気の状態が不安定ということで
ずっとお天気が悪かった~
最終日の15日だけは降らなかったかな?
そして、通り抜けが終わった今日、博物館の見学という裏ワザで
桜を見せてもらいました
通り抜けの期間は
トコロテン式の一方通行の押し出しで
ガードマンが
立ち止まらないでくださ~いって拡声器で叫んでるので
花を愛でることも写真を撮ることもできない
今年も中国語が聞こえて来るけど
まあまあゆっくりと鑑賞と撮影ができてラッキーでした
クリックすると大きくなります
<2013年4月11日の造幣局①>
<2013年4月11日の造幣局②>
このところ大気の状態が不安定ということで
ずっとお天気が悪かった~
最終日の15日だけは降らなかったかな?
そして、通り抜けが終わった今日、博物館の見学という裏ワザで
桜を見せてもらいました
通り抜けの期間は
トコロテン式の一方通行の押し出しで
ガードマンが
立ち止まらないでくださ~いって拡声器で叫んでるので
花を愛でることも写真を撮ることもできない
今年も中国語が聞こえて来るけど
まあまあゆっくりと鑑賞と撮影ができてラッキーでした
クリックすると大きくなります
<2013年4月11日の造幣局①>
<2013年4月11日の造幣局②>
このお花は?
ブロッコリーにも似ていますが。。。
ハボタンの花でした
ハナニラ。。。前は私も植えてたのにな~
白なのに、ちょっとだけ青が混じってる
ソメイヨシノがほぼ終わり、八重桜が咲いてきました。
造幣局の通り抜けが4/8~4/15までなんですが
お天気があまり良くないんですよね。
咲いている間に行けたらいいんだけど。。。
ブロッコリーにも似ていますが。。。
ハボタンの花でした
ハナニラ。。。前は私も植えてたのにな~
白なのに、ちょっとだけ青が混じってる
ソメイヨシノがほぼ終わり、八重桜が咲いてきました。
造幣局の通り抜けが4/8~4/15までなんですが
お天気があまり良くないんですよね。
咲いている間に行けたらいいんだけど。。。
今日(4/2)はお花見日和
きのう(4/1)は雨が降ったけど満開の一歩手前だったので花が散らずに済みました
本町に行く日(今更のパソコン教室(^-^;)なので
少し早めに出て大阪城に寄り道して写真を撮ることに
↑多聞櫓 人がいっぱいなのでトリミングしてます
天気が良いのは今日まで明日からしばらくは雨との予報です
平日なのにものすごい人出。。。海外からの観光客が多いみたい。
聞こえてくるのは韓国語と中国語
この枝垂れ桜を見るのが目的だったけど満開までもう一息かな
まだ蕾もたくさんありました
こちらは向いにある小さめの枝垂れ
重機のない時代に人力でこんなに大きな石を運んだことを想像すると・・・
昔の人ってすごいですね
お堀に浮いている豆粒のような水鳥↓
ズームしてみると。。。
(この2羽はカモのようです↑)
こちらはカモかな?と思ったけど
調べてみたら
オオバン(大鷭)かな~?
全身黒色で
くちばしから額にかけての白い部分(額板=がくばん)が特徴。
水に浮かぶ姿は、カモの仲間によく似ているが
実はバンやクイナと同じツルの仲間なのだそうです
目が赤いのが印象的
言われてみれば
クチバシの形がカモとは違いますね。
大阪城の向かい側は(左から)NHK、歴史博物館、大阪府警です。
お時間が許せばこちらの写真もどうぞご覧ください。
写真をクリックすると大きくなります。
<2013年4月1日の大阪城枝垂れ桜>こちらの方が綺麗に咲いています
きのう(4/1)は雨が降ったけど満開の一歩手前だったので花が散らずに済みました
本町に行く日(今更のパソコン教室(^-^;)なので
少し早めに出て大阪城に寄り道して写真を撮ることに
↑多聞櫓 人がいっぱいなのでトリミングしてます
天気が良いのは今日まで明日からしばらくは雨との予報です
平日なのにものすごい人出。。。海外からの観光客が多いみたい。
聞こえてくるのは韓国語と中国語
この枝垂れ桜を見るのが目的だったけど満開までもう一息かな
まだ蕾もたくさんありました
こちらは向いにある小さめの枝垂れ
重機のない時代に人力でこんなに大きな石を運んだことを想像すると・・・
昔の人ってすごいですね
お堀に浮いている豆粒のような水鳥↓
ズームしてみると。。。
(この2羽はカモのようです↑)
こちらはカモかな?と思ったけど
調べてみたら
オオバン(大鷭)かな~?
全身黒色で
くちばしから額にかけての白い部分(額板=がくばん)が特徴。
水に浮かぶ姿は、カモの仲間によく似ているが
実はバンやクイナと同じツルの仲間なのだそうです
目が赤いのが印象的
言われてみれば
クチバシの形がカモとは違いますね。
大阪城の向かい側は(左から)NHK、歴史博物館、大阪府警です。
お時間が許せばこちらの写真もどうぞご覧ください。
写真をクリックすると大きくなります。
<2013年4月1日の大阪城枝垂れ桜>こちらの方が綺麗に咲いています
今、ソメイヨシノが満開です
(電線が邪魔ですが。。。)
先日の「もたれる君」のところに載せた桜の写真で
龍山さんから「白い桜の名は?」というコメントをいただきまして
あらためて名札を見に行ったら
この白い花の方に<サクラ>って書いてありました!
桜ってとても品種が多いから、品種名を書いてくれたらいいのに
造幣局の八重桜の中には<小でまり>とか<大でまり>とかいうのがありますが
ちょっと違うみたいですしね
白くて手まり状にかたまって咲く桜。。。結局名前はわかりませんでした
(電線が邪魔ですが。。。)
先日の「もたれる君」のところに載せた桜の写真で
龍山さんから「白い桜の名は?」というコメントをいただきまして
あらためて名札を見に行ったら
この白い花の方に<サクラ>って書いてありました!
桜ってとても品種が多いから、品種名を書いてくれたらいいのに
造幣局の八重桜の中には<小でまり>とか<大でまり>とかいうのがありますが
ちょっと違うみたいですしね
白くて手まり状にかたまって咲く桜。。。結局名前はわかりませんでした
文字通りの雲ひとつない青空
桃も桜も咲き始めたし、暖かくて良いお天気なので
お外に出かけたいところですが
まだ歯を抜いたあとが痛くてそういう気分にならず。。。
自転車で写真を撮りに行きたかったんだけどな~
抜いた歯の根っこが、1本は真っすぐだったけど
もう1本は少し曲がってるというか、ねじれてたので
無理にこじたらしく、「てこずりました」と説明されましたが
そのせいか、いつまでもズキズキと痛い
左側の肩も張るし、頭も重痛いし・・・
なので、出かけないことにして
ベランダから青空を写してたらお月さまが出てました。右側の小さいの↓わかるかな?
(3月27日16時20分ごろ 東の空です)
上弦の月寄ってみる
も少し寄ってみると。。。表面はデコボコなんですね~
この写真のお月さまは弓に見立てると<弦は下>になってます。。
上弦・下弦といっても常に「上弦は弦が上」「下弦は弦が下」となるわけではなく
この状態がが成り立つのは月が沈む頃だけ。
この日
16時20分ごろ、東の空に昇ってきたお月さまは
弦が下だけど<上弦の月>なんですね。
ちなみに
上弦の月は昼間に出て夕方に正中し深夜に沈む。
下弦の月は深夜に出て明け方に正中し、昼間に沈むそうです。
桃も桜も咲き始めたし、暖かくて良いお天気なので
お外に出かけたいところですが
まだ歯を抜いたあとが痛くてそういう気分にならず。。。
自転車で写真を撮りに行きたかったんだけどな~
抜いた歯の根っこが、1本は真っすぐだったけど
もう1本は少し曲がってるというか、ねじれてたので
無理にこじたらしく、「てこずりました」と説明されましたが
そのせいか、いつまでもズキズキと痛い
左側の肩も張るし、頭も重痛いし・・・
なので、出かけないことにして
ベランダから青空を写してたらお月さまが出てました。右側の小さいの↓わかるかな?
(3月27日16時20分ごろ 東の空です)
上弦の月寄ってみる
も少し寄ってみると。。。表面はデコボコなんですね~
この写真のお月さまは弓に見立てると<弦は下>になってます。。
上弦・下弦といっても常に「上弦は弦が上」「下弦は弦が下」となるわけではなく
この状態がが成り立つのは月が沈む頃だけ。
この日
16時20分ごろ、東の空に昇ってきたお月さまは
弦が下だけど<上弦の月>なんですね。
ちなみに
上弦の月は昼間に出て夕方に正中し深夜に沈む。
下弦の月は深夜に出て明け方に正中し、昼間に沈むそうです。
大阪天満宮に<盆梅展>を見にいきましたが、もう散りかけ
暇人とはいえ、なかなか盛りの頃に出かけることができなくて。。。
まずは境内から
表門(大門)の大注連縄
下から見上げると迫力あります
そして注連縄の奥には
十二支方角盤
東西南北と十二支の名の隷書と
それぞれの動物が彫刻されています。
繊細な彫刻が美しいですが、よ~く見ると。。。
暦では
子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥
動物に当てはめると
鼠 牛 虎 兎 龍 蛇 馬 羊 猿 鳳凰 犬 猪
(鶏)
一般的には酉には鶏が当てられるところ天満宮では鳳凰になっています。
ちょっと小さくて見にくかったかな?
鳳凰の所だけズームで撮ればよかったですね
左右の扉の彫刻も鳳凰です
本殿に向かって右側の盆梅
左側の盆梅は枯れてしまったそうで今は松になってます。
室内の盆梅は<散りかけ>でしたが
外の梅は満開でした
ここからは建物の中に入って
中庭です
ラッキーなことにメジロさん発見
すぐにどこかに行ってしまいましたけど
カメラに収められたので
<大阪天満宮>
暇人とはいえ、なかなか盛りの頃に出かけることができなくて。。。
まずは境内から
表門(大門)の大注連縄
下から見上げると迫力あります
そして注連縄の奥には
十二支方角盤
東西南北と十二支の名の隷書と
それぞれの動物が彫刻されています。
繊細な彫刻が美しいですが、よ~く見ると。。。
暦では
子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥
動物に当てはめると
鼠 牛 虎 兎 龍 蛇 馬 羊 猿 鳳凰 犬 猪
(鶏)
一般的には酉には鶏が当てられるところ天満宮では鳳凰になっています。
ちょっと小さくて見にくかったかな?
鳳凰の所だけズームで撮ればよかったですね
左右の扉の彫刻も鳳凰です
本殿に向かって右側の盆梅
左側の盆梅は枯れてしまったそうで今は松になってます。
室内の盆梅は<散りかけ>でしたが
外の梅は満開でした
ここからは建物の中に入って
中庭です
ラッキーなことにメジロさん発見
すぐにどこかに行ってしまいましたけど
カメラに収められたので
<大阪天満宮>
3月15日まで開催されている盆梅展も
あと2日となり
残念ながら散りかけになっていました
写真
だいぶ省きましたが、それでも多いです
今年は<盆石>も彩りを添えてくれています
どの樹もご高齢でびっくりこの黒松は150年
左側の<大和野梅>は300年のご長寿
寄ってみる
寄ってみると。。。うつむいて咲く珍しい梅
こちらの黒松は250年
江戸時代から小さな鉢の中で生き続けてるんですね
<2006年3月13日の盆梅展>9年ぶりだったのにもびっくり
あと2日となり
残念ながら散りかけになっていました
写真
だいぶ省きましたが、それでも多いです
今年は<盆石>も彩りを添えてくれています
どの樹もご高齢でびっくりこの黒松は150年
左側の<大和野梅>は300年のご長寿
寄ってみる
寄ってみると。。。うつむいて咲く珍しい梅
こちらの黒松は250年
江戸時代から小さな鉢の中で生き続けてるんですね
<2006年3月13日の盆梅展>9年ぶりだったのにもびっくり
平安神宮の近くなので
そのままぶらぶらと歩いて「くろ谷 金戒光明寺」に行きました。
金戒光明寺は法然上人が草庵を結ばれた地
広い境内にはたくさんのお堂や塔頭寺院が立ち並ぶ立派な寺院です。
現在の埼玉県熊谷市出身の「熊谷直実」が法然の弟子となり出家したところだそうです。
法名は「法力坊 蓮生」
そして
会津藩主松平容保が京都守護職に任命され本陣を構えたのが
この地<金戒光明寺>です。
新選組発祥の地
幕末の京都は暗殺や強奪が日常化し
手のつけようのない状態になっていた。
文久二年(一八六二)に徳川幕府はついに新しい職制を作り京都の治安維持に当たらせることになった。
これが京都守護職である。
文久二年閏八月一日、會津藩主松平容保(かたもり)は江戸城へ登城し
十四代将軍徳川家茂から京都守護職・正四位下に任ぜられた。
役料五万石・金三万両を与えられた。
會津藩は京都守護職に任命されるにあたり幾度か固辞をしたが
藩祖保科正之(三代将軍家光の異母弟)の「家訓(かきん)」に順じて容保が決意したものである。
守護職を拝命するにあたっては、家老の西郷頼母・田中土佐は、「薪を背負って火を防ぐようなもの」と反対するが
容保の意は変わらず家臣も「君臣唯京師の地を以て死所となすべきなり」と
肩を合わせて泣き崩れたという。
これにより君臣一丸となり、會津藩松平容保は家臣一千名を率い
文久二年十二月二十四日午前九時頃京都三条大橋に到着
京都所司代・京都町奉行所の出迎えを受け
本陣となった黒谷金戒光明寺に至るまでの間
威風堂々とした會津正規兵の行軍が一里余りも続いた。
この間、京の町衆も両側に人垣を作り大歓迎するのであった。
NHKの大河ドラマ「八重の桜」をかかさず見ていたので
当時の映像が目に浮かびます
続きはHPをご覧ください。<会津藩と新撰組>
山の上の墓地には会津藩殉難者墓地があります。
気の早い桜が一輪
<浄土宗大本山 くろ谷 金戒光明寺>
そのままぶらぶらと歩いて「くろ谷 金戒光明寺」に行きました。
金戒光明寺は法然上人が草庵を結ばれた地
広い境内にはたくさんのお堂や塔頭寺院が立ち並ぶ立派な寺院です。
現在の埼玉県熊谷市出身の「熊谷直実」が法然の弟子となり出家したところだそうです。
法名は「法力坊 蓮生」
そして
会津藩主松平容保が京都守護職に任命され本陣を構えたのが
この地<金戒光明寺>です。
新選組発祥の地
幕末の京都は暗殺や強奪が日常化し
手のつけようのない状態になっていた。
文久二年(一八六二)に徳川幕府はついに新しい職制を作り京都の治安維持に当たらせることになった。
これが京都守護職である。
文久二年閏八月一日、會津藩主松平容保(かたもり)は江戸城へ登城し
十四代将軍徳川家茂から京都守護職・正四位下に任ぜられた。
役料五万石・金三万両を与えられた。
會津藩は京都守護職に任命されるにあたり幾度か固辞をしたが
藩祖保科正之(三代将軍家光の異母弟)の「家訓(かきん)」に順じて容保が決意したものである。
守護職を拝命するにあたっては、家老の西郷頼母・田中土佐は、「薪を背負って火を防ぐようなもの」と反対するが
容保の意は変わらず家臣も「君臣唯京師の地を以て死所となすべきなり」と
肩を合わせて泣き崩れたという。
これにより君臣一丸となり、會津藩松平容保は家臣一千名を率い
文久二年十二月二十四日午前九時頃京都三条大橋に到着
京都所司代・京都町奉行所の出迎えを受け
本陣となった黒谷金戒光明寺に至るまでの間
威風堂々とした會津正規兵の行軍が一里余りも続いた。
この間、京の町衆も両側に人垣を作り大歓迎するのであった。
NHKの大河ドラマ「八重の桜」をかかさず見ていたので
当時の映像が目に浮かびます
続きはHPをご覧ください。<会津藩と新撰組>
山の上の墓地には会津藩殉難者墓地があります。
気の早い桜が一輪
<浄土宗大本山 くろ谷 金戒光明寺>
(応天門)↑
カナダのお友達が京都に宿泊してるので
(玉子コロッケのやろくは私とふたりだったんだけど)
京都は
残りのメンバーも集まって私を入れて5名
平安神宮なんて何年ぶりでしょう?
(大極殿)↓
(私以外の4人。。。私は写す人です(^-^;)
鴟尾(しび)↓ 屋根の稜(りょう)の部分の両端につける一種の装飾具です。
訓読みすると(とびのお)鴟とはトビとかフクロウのことだそうです。
つまり鴟尾(しび)とはトビやフクロウの尾ということになります。
また鴟尾(しび)は靴に似ていることから沓形(くつがた)とも呼ばれます。
「鴟尾」が屋根の最上部に設置されるのは火除けのまじない
魚が水面から飛び上がり尾を水面上に出した姿を具象化したもので
屋根の上面が水面を表し
水面下にあるもの(建物)は燃えないとの言い伝えから火除けとして用いられたと考えられるそうです。
(白虎楼)↓向かって左側
右近の橘
(蒼龍楼)↓向かって右側
左近の桜
桜が咲く季節なら見事でしょう
前日はとっても綺麗な青空だったのに・・・
背景が灰色で残念
夜中には雨が降り出し、午前中は雨が残るとの予報だった。
でも朝には上がっていて傘を使うことがなかっただけでもラッキーだと思わねば。。。
まだ続きます
<平安神宮>