政府、社会の問題、提言など

社会、経済、政治などの問題点について投稿して行きます。 又、テレビ報道しない重要な出来事や、注目すべき出来事も対象です。

「天皇陛下の即位を祝う、国民祭典」は、必要な行事なのか?!。~ 皇室行事だけで良いのでは?!、芸能人が出てきたり、強欲な経済界の者らが出てきたりすれば、皇室のイメージが低下する。

2019年11月09日 21時38分35秒 | 社会

何となく「皇室」自体が、安倍氏らや経済界に「利用されている」ように見える。先日の皇室行事の時も、安倍氏は各国の代表者らと政治やビジネスの話をしていた。個人的に思ったが、「天皇/皇室」の行事で訪日している要人に対して、安倍氏がシャシャリ出て要人と会談すべきではない!、と言える。天皇、皇室に対して、「大変失礼な状態!」であった!と言える。

安倍氏は、その事を理解していないのでは?!と、個人的には思った。

「安倍氏と会談する目的」で、「訪日していたのでは無い」のだ。

「天皇/皇室」の行事で訪日しているのだろ?!。

安倍氏らは、「行なって良い場合」と「そうでは無い場合」の「違いがわかっていない」のでは?!。

非常に遺憾な安倍内閣と言える。


当時の報道で、NHKや民放各局の報道も、「おめでたい!一色!」で、この事は誰も指摘していなかった。




記事参照。


天皇陛下の即位祝う国民祭典開催
2019年11月9日 19時00分即位 儀式 行事


天皇陛下の即位を祝う「国民祭典」が、9日、皇居前広場で開かれ、天皇皇后両陛下は、皇居の二重橋近くから、集まった人たちの祝意にこたえられました。

「国民祭典」は、天皇陛下の即位を祝うため、超党派の議員連盟や、経済界などが参加する民間団体が開催しました。

第1部の「奉祝まつり」では、皇居近くで祝賀パレードが行われ、来年の東京オリンピックで活躍が期待される陸上の桐生祥秀選手らがテープカットを行ったあと、沖縄の伝統舞踊エイサーなどの全国各地の郷土芸能が披露されました。

その後、第2部の「祝賀式典」が皇居前広場で開かれ、国会議員や各界の著名人、それに一般客の合わせておよそ3万人が参加しました。

はじめに若い世代を代表して女優の芦田愛菜さんが、「天皇陛下のご即位にあたり心よりお祝い申し上げます。日本そして世界の平和に対する陛下のみ心(御心)に心を打たれました。古くから日本に伝わる文化を大切にしつつ新しい日本へと躍進していく時代になっていくことをせつに願っております」と述べました。

続いて、歌舞伎俳優の松本白鸚さんが「皇室という長い伝統を受け継がれる両陛下におかせられましては、現代の日本における国民の象徴として、両陛下らしい新たな息吹を伝統文化にもお与えくださることと固く信じております」と述べました。

そして、天皇皇后両陛下が、皇居の二重橋近くの石橋の上に姿を見せられ、安倍総理大臣が「国民の皆様とともに、改めて天皇陛下のご即位をお祝い申し上げます。天皇陛下のご即位とともに始まった新しい令和の時代、私たちは天皇陛下のお気持ちをしっかりと胸に刻み平和で希望に満ちあふれ、一人一人の日本人がそれぞれの花を大きく咲かせることができる時代をつくり上げていく決意です」と述べました。

このあと、ピアニストの辻井伸行さんらの演奏で、人気アイドルグループ「嵐」が、即位を祝ってつくられた「奉祝曲」、「Ray of Water」を披露しました。


そして、天皇陛下が、おことばを述べられました。

天皇陛下は、「即位から約半年、多くの方々から寄せられる気持ちをうれしく思いながら過ごしています。またこの間、さまざまな機会に国民の皆さんと直接接し、皆さんの幸せを願う思いを私たち二人で新たにしてきました」と述べられました。

そのうえで、台風19号などの大雨災害で被災した人たちなどへの気持ちをあらわし、「ここに改めて国民の幸せを祈ると共にわが国の一層の発展と世界の平和を願います。きょうは寒い中にもかかわらずこのように大勢の皆さんが集まり即位をお祝い頂くことに深く感謝いたします」と締めくくられました。

おことばが終わると、会場では万歳三唱が行われ、集まった人たちが手にしたちょうちんを振って祝意をあらわすと、両陛下もにこやかな表情でちょうちんを振ってこたえられていました。

両陛下は10日、「即位の礼」の最後の儀式となる「祝賀御列(おんれつ)の儀」に臨み、オープンカーで東京の都心部をパレードされます。


皇居前広場では郷土芸能など披露

皇居前広場では、9日、天皇陛下の即位を祝う「国民祭典」が開かれ、およそ2000人が参加して全国各地の郷土芸能などを披露する祝賀パレードが行われました。

「国民祭典」は、超党派の議員連盟や、経済界などが参加する民間団体の主催で行われ、午後1時半ごろから陸上の桐生祥秀選手や、フィギュアスケートの紀平梨花選手らがテープカットをして祝賀パレードが始まりました。

パレードにはおよそ2000人が参加し、子どもたちによる音楽隊などの演奏のほか、15の団体がちょうちんをつけた竹ざおが掲げられる秋田の「秋田竿燈まつり」や、沖縄に古くから伝わる踊り「エイサー」など、全国各地の郷土芸能を披露しながら「内堀通り」をおよそ1キロにわたって練り歩きました。

沿道には大勢の人たちが詰めかけ写真を撮ったり拍手をおくったりしてパレードを盛り上げていました。



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即位礼正殿の儀 三重 伊勢神宮 内宮前に記帳所 市民らが列10月22日 15時35分



https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191109/k10012171101000.html





* 安倍氏の発言で、「水の利用」の話をしていたが、日本の水資源、水ビジネスで、フランスのヴェオリア社が日本で事業展開、参入する予定のようだが、「今後起こり得る様々な問題」について「専門家らが多くの指摘」をしている。


ところで、「天皇陛下の即位を祝う、国民祭典」は、必要な行事なのか?!、と思える。

個人的には、皇室行事だけで良いのでは?!、と思える。

新たな天皇陛下、皇后陛下も、「幾度ものお祝い」と言う状態で、疲れてしまうのでは?!。

昔は、テレビ報道や、ラジオ放送だけだったので、多くの庶民に知らせる目的で、複数回の祭典は必要だったのかもしれないが、皇室としての公式行事については、宮内庁ホームページや、インターネットでの動画、録画記録で確認出来るので、今回のような「国民祭典」は必要無いのでは?!と思える。

又、芸能人が出てきたり、強欲な経済界の者らが出てくる事で、皇室自体のカリスマ性も低下させてしまうのではと思える。


皇室としては、国民との格差、敷居が高過ぎる状態は嫌なのかもしれないが、アイドル歌手が歌を歌う事は、何となく「違うのでは無いのか?!」と思えてならない。

更には、庶民の所得/賃金を上げようとせず抑えている「商工会議所の三村」が祝辞を述べている事自体、「国民を貧乏にさせている、お前は、出てくるなよ!」と指摘したい。


今回の国民祭典について、NHKで中継放送していたが、「開催の時間」について、何故、夜、行なったのであろうか?!。

今回の国民祭典の映像を見ると、何となく「黒っぽい状態」だ。

夜なので仕方がないのかもしれないが、以前、開催された「愛・地球博」を思い出す。

何となく、「イルミナティの祭典」、もしくは「悪魔崇拝の儀式」のような「独特な、真っ黒い感じ」の「独特な宗教観」を個人的には感じざろう得なかった。

特に、「ノーマルな祭典ではない!」と思えた部分として、安倍氏を含め、自民党の幹部らが、「天皇陛下、万歳!」を「十回くらい連呼」していたのが、特に異様な状態に見えた。

3回くらいならまだ理解できるが、「壊れたロボット」のように延々と「天皇陛下、万歳!」を繰り返していたのだ!。

何故、そんなにも、「天皇陛下、万歳!」を繰り返していたのであろうか?!。

新たな天皇陛下を祝う、皇居に訪れた人たちも、大勢で「天皇陛下、万歳!」を「延々と連呼している状態」は、「一見、カルト宗教的な異様な感じ」を感じざろう得なかった。


個人的に思うが、「天皇陛下、万歳!」と言うのは、「昭和天皇の頃」と「平成天皇まで」と言えるのではなかろうか?!。

安倍氏なども含め、新たな天皇に対し、「何故、天皇陛下、万歳なのか?!」、と個人的には疑問に思う。

NHKの中継映像を見て、連呼される「天皇陛下、万歳!」などを考えれば、何となく「カルト宗教の祭典」を見ているような感じであった。

洗脳された信者が、「天皇陛下、万歳!」を連呼しているように見えてしまった。

安倍氏らからすれば、「アベノミクス」や「マクロスライド」など、「多くの政策が失敗!」した為に「誰かにすがりたい!」と言う気持ちが、「天皇陛下、万歳!」を「連呼する行動 / 衝動」に繋がっているのかもしれない。


又、祭典中に、アイドル歌手の「嵐」が歌った「曲のタイトル」は、「Ray of Water」と言うタイトルだ。

「Ray of Wate」r を訳せば、「水の光線」と言う意味になる。

「水ビジネス」と、「光、イルミネーション」=「イルミナティ」と言う事なのか?!。

日本の水ビジネスは、今後からは、「イルミナティ」/「ヴェオリア社」が「管理し、「ボロ儲け」していきます!」と言う事を意味しているのかもしれない。

アイドル歌手「嵐」の歌は、国民に対して「暗に、その様な事を伝えているのかもしれない」。



歌詞の一部では、


「誰かの幸せが、世の中を照らす/時を照らす/今を照らす」。

「僕らの喜びよ、君に届け!」


と言う事のようだ。


「誰かの幸せ」と言うのは「富裕層/成功者」の幸せが「世の中を照らす/時を照らす/今を照らす」と言う事なのでは?!。

「そうでは無い者ら」は、「世の中/時/今を照らせない」と言う事にも思える。


「僕らの喜びよ、君に届け!」と言う歌詞を考えた場合、「富める者も、そうでは無い者」も「一緒に喜び」、「世の中の様々な問題」について「考えないようにしましょう!」。

「僕らの歌を聞いて!、世の中の様々な問題を忘れましょう!」と言う様にも思える。



この事、この状態は、「庶民向け」の「洗脳装置、洗脳組織、洗脳者」と言う事なのかもしれない。











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枯渇化する「年金資金」をどのように食い止め、どのように、将来世代に維持継続させるのが良いのか?!~ 富裕層(経済的 成功者)で「年金受給 拒否」の人には「特別な名誉称号」を付与すべき。

2019年11月09日 18時17分01秒 | 政治・自衛隊

勲章。
1000万円を超えるものも…!知られざる「勲章」売買の世界 より。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55499



皇室から授与される名誉称号ではなく、政府としての「国民栄誉賞」ではないが、「年金受給拒否」を行なった人については、「称号授与」を行うべき!と言える。


毎日、テレビショッピングなどで、数百万円もの宝石を購入している人など、「年金支給必要ですか?!」

又、麻生氏や安倍氏など、ワインやウイスキー、飲食費用で数千万円も使っている人たちに、「その金額以下の年金支給について、必要なのか?!」、と言う事だ。

常識的に考えてもこのような人達には「年金支給は必要はない」と言える。


例えば、麻生氏の場合、現時点では「麻生 太郎」だが、年金受給を止めれば、例えば、「政府が付与する称号が、「Sir」の称号の場合、「麻生 Sir 太郎」になる、という事だ。

「非常に格好が良いのでは!」。

初対面の人でも、その人の立場や、バックボーンが手に取るように理解出来やすくなるのでは!。

称号付与のメリットは大きい。

この人は、「富裕層(経済的 成功者)」なのだ!、と言う事を、言葉にしなくても、スマートに相手に知らせる事が出来るのだ。

キャッシュカードでも、「超富裕層向け」の「ブラックカード」があるが、国、政府としての「称号制度」が実現できれば、その本人にとっては、「それ以上の社会的な効力、信頼性が得られる制度」と言える。。

個人的には「悪くない制度」と思える。


仮に一度、称号を得た人でも、「不正な事や、犯罪などを犯した者」については、称号を没収、だからといって年金の再度受給開始は出来ない制度を作るべきだ。

「称号制度」が実現出来れば、「信頼性の高い新たなコミュニティ形成」も可能と言える。

この事は、「一つの経済のチャンス」として考えれば、「切っ掛け」さえあれば、大きなビジネスに繋がる可能性もそれだけ高められる、と言う事も言える。


「これまで年金積立金を支払ってきた」と言う意見から、「当然、受け取る権利はある」と言う考え方は、「正論ではある」が、現状、「国としての年金資金は十二分に備わっているのか?!」、と言う事の方が後世への継続と言う点で重要だ。

経済的、資金的に「充分過ぎる富裕層」の人たちが、「枯渇しかかっている年金資金」を「普通の人」のように「受け取る」事で「年金資金を、更に枯渇化させて行く」と言う事にも繋がる。

その事に対して、富裕層(経済的 成功者)の人たちが、「意志のある、モラルある年金受給停止/終了 宣言、行動」が行われれば、日本の年金システムは、崩壊しにくくなり、且つ、現状の一般の人々への年金支給も多少は改善できる事にも繋がってゆく。

富裕層(経済的 成功者)の人たちは、「本来は、一般の人と同じように受け取れる権利はある」が、現状の少子超高齢社会を考えれば、「年金システム」の「将来世代への制度の維持継続」と言う事で「枯渇している年金資金受給」は「拒否、中止」と言う事を「自ら実行すべき」と言える。

「年金を受けとらない」という事こそ、「本物の経済的 成功者」と言う証にもなる。


個人的に考えたが、年金について、受け取りを拒否し受け取らない事を宣言した人については、「名前に称号を付ける」事も検討すべきだ。

英国だと、「Knight」や、「Sir」などの称号があるが、日本でも同じような「称号制度」を作れば、「枯渇化する年金制度」を救う鍵になるかもしれない。

年金受給を断った「経済的成功者ら」は、「特別な称号を名前に付与される」事で、「経済的な格の違い、成功者である」という事を、世の中に示す事も出来るのだ。

もちろん、本人の希望で、「称号は要らない」という人については、付与しなくても良いのだ。

ただし年金を受け取らない経済的な成功者については、何時でも「称号をつけられる状態」であるべきだ


安倍氏と、菅官房、財務省、麻生氏は、この「称号授与」について「真剣に考えるべき」だ。

「特別な名誉称号」について、制度化出来れば、「枯渇する年金資金の目減りを緩やかにし、将来世代への架け橋の安定化にも繋がる制度になる」、と言える。








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