ある日突然、空気を染める。
今年それに気がついたのは10月2日、巣鴨へと歩く道中だった。
どこに咲くとわからないけれど、どこを歩いても漂っている。
そして、ある朝、窓を開けると、香りがうせていることに気付く。
毎年、日本の何処にいても繰り返される季節の香り。
その香りは、金木犀。
いろいろな想い出を呼び起こす、感傷的な香りだ。
梅や桜とちがって、咲くのを楽しみに季節を過ごすのではなく、
咲いてはじめてその季節なんだなぁと思い出す。スイセンもくちなしも薔薇も、私にとってはこの都会で数少ない季節を報せてくれる花。私はいまだに、暦よりフェノロジーのなかで生きているので、祭りがあっても「あぁ、秋だねぃ」なんて感じられない。
昨夜、天祖神社の角の路上に、たくさんのスダジイの実が落ちているのに気がついて、懐かしい嬉しさで胸がいっぱいになった。
先月の終わり、四階のベランダの軒先に一匹だけで漂うアキアカネ(赤とんぼ)を見て、一瞬、心が躍った。しかしその10分後には、その羽で、今日どこまで飛べるのだろう、今夜はどこで羽を休めるのか、この近辺のどこで相手をみつけ成虫になるまでのヤゴを育てられる環境で産卵できるのか、と、南からあてもなく流れて北上を続ける蝶を思うような気持ちになった。サンシャインをバックに見る赤とんぼは少し切ない。
なんだかこのところ寒いなぁと思っていたけれど、秋がきていたのですね。
皆様、お元気ですか?
今年それに気がついたのは10月2日、巣鴨へと歩く道中だった。
どこに咲くとわからないけれど、どこを歩いても漂っている。
そして、ある朝、窓を開けると、香りがうせていることに気付く。
毎年、日本の何処にいても繰り返される季節の香り。
その香りは、金木犀。
いろいろな想い出を呼び起こす、感傷的な香りだ。
梅や桜とちがって、咲くのを楽しみに季節を過ごすのではなく、
咲いてはじめてその季節なんだなぁと思い出す。スイセンもくちなしも薔薇も、私にとってはこの都会で数少ない季節を報せてくれる花。私はいまだに、暦よりフェノロジーのなかで生きているので、祭りがあっても「あぁ、秋だねぃ」なんて感じられない。
昨夜、天祖神社の角の路上に、たくさんのスダジイの実が落ちているのに気がついて、懐かしい嬉しさで胸がいっぱいになった。
先月の終わり、四階のベランダの軒先に一匹だけで漂うアキアカネ(赤とんぼ)を見て、一瞬、心が躍った。しかしその10分後には、その羽で、今日どこまで飛べるのだろう、今夜はどこで羽を休めるのか、この近辺のどこで相手をみつけ成虫になるまでのヤゴを育てられる環境で産卵できるのか、と、南からあてもなく流れて北上を続ける蝶を思うような気持ちになった。サンシャインをバックに見る赤とんぼは少し切ない。
なんだかこのところ寒いなぁと思っていたけれど、秋がきていたのですね。
皆様、お元気ですか?