金魚cafe

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猿翁アーカイブにみる三代目市川猿之助の世界

2016-09-27 23:41:26 | 古典芸能
京都造形芸術大学40周年・京都芸術劇場15周年記念ということで開催された「三代目市川猿之助の世界」、抽選で当たりました。

どんなお話が聞けるのかワクワクして行ってまいりました。

司会進行が市川笑三郎さん、「空ヲ刻む者」では十和の慈悲深いお母様役、「ワンピース」ではニョン婆役をされていました。

スーツ姿で登場されました。

とても流ちょうな語りで「本日このフォーラムで観たこと聞いたことをいろんな?(SNSOKってこと?)広めていただきたいなにとぞ、なにとぞ、なにとぞ」と三回も念を入れておっしゃいました。

ここで皆さんの緊張というか解きほぐされて笑三郎さんの簡単な自己紹介。

30年前昭和61年5月16歳で三代目市川猿之助さんのところに入門されたと。
当時の猿之助さんは46歳、内弟子として生みの親より育ての親というか師匠のところにいる年月のほうが長くなってしまいましたと。

ご自身の舞台に出ずっぱり以外に芝居、オペラの演出と忙しいときに弟子たちを厳しく育ててくれました。

今となってはためになっております。

笑三郎さんは猿翁さんが病でお倒れになってから数年間京都芸大の講師を勤めておられたときもあったそうです。

この辺の詳しいお話は私も知らなかったのでそんなことがあったのかと。

本年5月に猿翁さんから大学にご自身の歌舞伎関係の資料を寄付されたそうです。

その貴重な映像の資料を基に今回のフォーラムは進められていきました。

本当に貴重な映像すぎて来て良かった~~と感激しました。

つたない文章ですが、お聞きしたお話をこちらに記録したいと思います。

続きは次回に。

よね吉・正邦笑えない会

2016-06-13 00:20:48 | 古典芸能
今年もこの季節がやってまいりました。

いつもならもうちょっと遅めで京都芸術センターに行く途中で祇園さんの囃子のお稽古の音色や鉾が見れるのですが今年は早かったみたいです。

いつものように開演一時間前にチケットを受け取り自由席なので並びます。

今年の秋に茂山正邦さんが千五郎のお名前を襲名されるので正邦としては今年最後になります。

そんな感じでトークでもそこに触れられておりました。

江戸時代から続く千五郎という名前は正邦さんで十四世だそうでそれだけ重大なことなのだなあというのは感じます。

トークのなかで正邦さんの祖父にあたる千五郎さん、千之丞さんが今までの概念を打ち破り新しいことにどんどん挑戦され道を開かれた。

そのすごさも感じておられる。

能楽堂以外のえ~~っそんなところで狂言を~~というようなことをどんどんやられた。

今聞いてもびっくりします。

トークでよね吉さんが自分の師匠である吉朝さんの話をされるときの表情やエピソードで弟子思いの師匠だったのだなあと。

毎回の狂言、落語は普段見られないマニアックなもので聞いたこともないし、狂言の「鱸包丁」も「和伝書」でどこに書いてあったかなあと調べなおしました。

伯父のお祝いに鯉を届けようとした甥、ところが肝心の鯉を買うのを忘れてしまい、伯父さんに実はせっかく手に入れた鯉をカワウソに食べられてしまったと言い訳をします。

カワウソがフツーに川で泳いでるってどれだけ昔の話なんでしょうね。

そういうところがマニアックなのかもしれません。

この甥をこらしめてやろうと伯父さんの反撃が大部分をしめます。

鯉を買ってこないといけない話でなぜ鱸がでてくるのか?

そこも深~~い話でワハハと笑えませんが、料理の作法から、お茶のたて方に詳しい方は面白いと思います。

そして落語が「本能寺」。

これは歌舞伎のお話を落語で聞かせるというものなのだそうですが、なぜマニアックなのかといいますと、歌舞伎でこれが上演されないから元ネタがわからないとワハハと笑えないのだろうということです。

枕からよね吉さん歌舞伎の話でご本人は本当に歌舞伎が好きな方なのだなあと。

幕見席のお話も歌舞伎というのはお値段が高いからと敬遠されている方に安い値段で歌舞伎が観れますよと勉強になりました。

「本能寺」とはあの織田信長が明智光秀によって本能寺で撃たれるところを舞台で演じるのですが、昔はやぱり織田信長のまま名前をだすというのは難しかったようで織田信春、明智光秀は武智光秀と名前を変えて演じていたそうです。

私たちはただただよね吉さんが一人で歌舞伎をえんじているところを観ていました。

手拭い扇子などを上手く使うところは笑うというよりほぉ~~と感嘆な声が聞こえてきました。

この落語をやる方が少ないのは歌舞伎というものを知っている、この元ネタを知っていないとできないからだと思います。

いきなり歌舞伎の型というものはできませんものね。

ドカ~~ンと笑いはないけれど歌舞伎好きなよね吉さんにはぴったりの話だと思います。

ウケないから人前でやらなくなる、そうすると忘れられてしまう。



そうならないようにどんどんやっていこうマニアックな曲、ネタに挑戦し続けるこの笑えない会と名付けておられますが、しっかりと笑えますから~~。

来年も楽しみにしています。

MOPPYの不惑ワクワクの会~宗彦生誕40年記念~

2015-11-26 23:54:04 | 古典芸能
11月22日に京都の大江能楽堂で茂山家の宗彦さんの会が開かれました。

1975年6月4日生まれで1979年10月初舞台。

今年が40歳、狂言師として36年節目として狂言会をされるとのこと。

大江能楽堂に着いたらすでに大勢の方が並ばれております。

私は大江能楽堂は初めてなので並んでる方を見つけなければうっかり通り過ぎていました。

いつもは目印にポスター貼ってるのになんで今日はポスター貼ってないのだろう??と不思議に思いながら中に入りました。

そしていつも入場するときに渡してくださるパンフもなし。

何だろう?いつもこんなことはないのだけれどと席に座ろうとしたらえっ???ここは椅子がなくて正座しなくちゃいけなかったのでした。

私は正座が苦手で京都で狂言会があるときは大江能楽堂じゃなくて椅子のある金剛能楽堂に観に行っていました。(情けない^^;)

用意のいい方は正座しても足がしびれない正座椅子を持参されていましたし、皆お行儀よく正座されています。

2時間近く正座はツライな~~と悩んでおりましたら椅子の席の方と場所を変わっていただけてセーフです。^^ホッ。

そしてパンフが配られまして番組を見ますとあれ?内容が変わってる??

それには深~~い理由があったのですがそれは後のお楽しみで、まず「宗論」。

浄土僧 茂山宗彦

法華僧 茂山逸平

宿屋  茂山七五三


浄土僧と法華僧が旅の途中で出会います。

宗派が違うので互いに自分の宗派に改宗させようとします。

浄土僧のほうがちょっと茶目っ気があり法華僧はそれをうっとうしがります。

宿で同部屋になってしまい部屋を代えてくれと頼む法華僧、あいにく空き部屋は無し、無視することにします。

それを面白がってますますからかう浄土僧。

これを宗彦さん、逸平さんの兄弟でやるので間も息もぴったり。

宗彦さん、自分の会なのではじけております。^^

次が「萩大名」

大名 茂山七五三

太郎冠者 茂山宗彦

庭の亭主 茂山逸平

一家総出でございます。

田舎大名がご近所の萩の花が見事なお庭を見せていただくこととなります。

当時は大名ともなりますとお庭を見せていただいたら和歌を読まなければなりません。

田舎の大名で風流を理解できず困ってしまいます。

太郎冠者が自分の読んだ和歌を読めばよいと教えるのですがなかなか覚えられず、仕方なく太郎冠者がゼスチャーで教えるからと言ってもトンチンカンなことを言って庭の亭主を怒らせ太郎冠者にはあきれられます。

いつもは太郎冠者が失敗したりトンチンカンなことをして主に怒られるのですがこの太郎冠者はなかなかのキレ者として登場します。

私は前に千五郎さんの大名で茂さんの太郎冠者の萩大名を観ましたが、同じ茂山家でも組み合わせが違うと面白さが違うなあと。

そして終了した後で七五三さん、宗彦さん、逸平さんのお子様の慶和くんが登場してご挨拶。

いつもは終わってからご挨拶というのはないのですが珍しいです。

実は宗彦さんの生誕40年記念の会というのはお父様の七五三さんが茂山七五三を襲名されて20周年をお祝いするためのサプライズだったのです。

知らぬは主役の七五三さんだけ。

どおりでポスター貼ってないしパンフもギリギリまで渡されなかったわけでした。

七五三さんはこのサプライズに感激されてちょっとウルウルとなりかけていらっしゃいました。

その横で宗彦さんは明るく慶和くんとはしゃいでいたのは自分もウルウルとなるのが照れくさくて明るくふるまってたのかなあと。

私の今年の狂言会はこれで最後、また何かの節目にサプライズがあるのかしらと来年も狂言会が楽しみです。



写真です

2015-08-06 00:45:10 | 古典芸能

こちらポスター、ジブリのあのキャラクターではなく狸さんです。

こうして終了したあとご挨拶に出ていらして撮影会になっちゃいました。
写真撮っただけじゃなくてSNSにアップしてね~。
と公認のもと遅ればせながらアップいたしました。

黒のベストがゲストの桂よね吉さんです。

阪急電車でリラックマ。(///∇///)