親が私のために音楽ルームを作ってくれて、そこにピアノを置いて暫くの期間弾いていた
(うつ症状により、たまにしか弾けなくなりましたが)のですが、やはり別の某部屋が
ふさわしいと思い、念願のグランドピアノを中古で買ったらそこに置こうと思っています。
元々、私はその某部屋に籠って弾くことをイメージしていたんです。
でも専門家や有識者の意見にお利口さんに従って、今の部屋を音楽ルームにした次第です。
でもやっぱりだめだ。あの部屋がいい…。親不孝者だけど。
パーマ屋のおばちゃんが、その某部屋に入った時、「よかね。ここでピアノば弾くとよか」
と言ったんです。彼女のインスピレーションは私のと同じことが繰り返しあって、
「私もそう思ってた」と言うことが多く不思議です。
母が、機能性や利便性で選んだ布カバーを見て「こげな色柄は私は選ばんね…」と言った時も
私も同じでした。私も機能性やスペックよりも、見て触っていい気分なことが優先になります。
近所で親しいから、彼女は感じたことをそのまま言います。私は彼女のことが好きです。
最初からイメージしていた場所が私には賢明で正解だったんです。それを
後から入った他人からの理性的な声を採用して、上から乗っ取らせてしまったんです。
それはいくら尤もに訴えてきても、私にとっては間違い、不正解だった。
私にとってピアノとは、ああいう場所で弾くもの。例えて言うなら、
愛する人との親密な時間を、親やきょうだいの前で過ごせる人はあまりいないでしょう。
恋人との電話を、親きょうだいの前でしたい人はいない。籠り感が必要です。多分そんな感じです。
そういう感覚やその他色々な感覚をインテグレートしてあの場所を最初にイメージしていた。
それを、他人の声で踏み荒らしてはいけなかった。