私が最初に通った先生の弾くピアノはとても芳醇なもので、強烈な体験となっています。
(関連:筑後川 ”Youth” Samuel Ullman 挫折した楽器)
そのことはよかったけれど、いい思い出はほとんどないです。泣きながらレッスンに通っていました。
彼女は見栄を非常に気にする人で、腰を振って舞台に登場する恰好つけでした。高齢になっても
変わっていませんでした。私はそういった場で、彼女の見栄に沿うようなふるまいができず、
ピアノの世界を恐ろしく感じていました。そこにあったのは自由で楽しい雰囲気ではなく、
権威主義、貴族意識、階級制度…etc そんな類のものでした。
私は舞台上で洗練ぶったしぐさができなくて、他の生徒たちに意地悪をされていました。
今思うと、あの先生にいかにもぴったりのあの生徒達でした。大人になってフジコ・ヘミングの
著書を読むと、彼女も子どもの頃、他の子達にステージでの居ずまいをばかにされていたと
書いてありました。意地悪な世界では、意地悪な人達が幅を利かせるんです。
フジコ・ヘミングのただ真剣に無骨に弾くだけのあの姿が大好きです。私にも
「それでいいのよ」「余計なこと一切要らない」と、あの低い声で言われているようです。
(関連:フジコ・へミングのピアノ② 静の中から生まれる動 安定した演奏が聴きたい時は)