制限の中で、いいものを作って行く。
例えば、材料は今あるこれから使わないといけないとか。
或いはお金がないから買える材料はどうしても限られてくるとか。
自由に何でも決めていいのはどんな感じだろう。
そういう状況になったことない。もしそういう状況になったら戸惑うだろう。
今までは制限ありきの中で創意工夫していく脳みそしか使っていないから。
寄る辺なくなってしまいそう。そういう自由な状況は、不自然な状況だと思う。
制限の中でいいものを作る創意工夫は、知的な作業。知恵を絞り、不運の中の
逆転勝ちを愉しむ。自由に選べる中でしていただろう選択よりも、制限の中で
編み出したこっちの方が、長期的視座に立てばとてもよいものとなった、とか。
::::::::過去記事:ドーパミンの不正入手より抜粋:::::::::::::
不正入手と言うのは、盗賊的、泥棒ねずみ的、借り暮らしのアリエッティ的、敗者復活的、
持たざる者の逆説的な幸運的 な盗っ人の様な雰囲気に合うから「不正」なのだけど、
もっと深く追究していけばこれは不正ではなくて正常なのではないかと思う。
(参考:レヴィ=ストロース著の「野生の思考」で描かれているブリコラージュ)
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それは、自分の脳内で、「甘いレモン」の心理もあるかもしれない。
制限の中でやるしかなかったことが、自由な中でやった場合よりも優れていたという
エヴィデンスを無意識に集めたり。
でも、不運の中の敗者逆転勝ちは今まで数えきれない程実感してきたのだから。