我が家の雛人形は2人が横に並んでいるものです。雛段はありません。
※イメージ写真
我が家では思想信条により、雛人形を飾る習慣はありませんでした。
私は小学生の頃に、周りの女の子たちはみんな(?)飾っているのにうちは飾らないので
親に「うちにもお雛様が欲しい」と言いました。
すると親は、お内裏様とお雛様とは天皇と皇后のことで、階段になっている雛段は身分によって上から下に分けられて並んでいることを私に教え、そういう考えには賛同しないのだと伝えました。人を、偉い偉くない、貴い賤しいと序列をつけて分ける身分制度に反対だと。
一段目・・・男雛女雛:天皇皇后
二段目・・・三人官女:主に女雛のお付きの女官。身の回りの世話
三段目・・・五人囃子:秀才の児童音楽隊
四段目・・・随臣 :ガード、警備
五段目・・・仕丁 :掃除などの雑用
そう思ってみると、お雛人形は怖さもあります。もし一番上に刀を脇に持って鎮座している男雛(天皇)が気に入らなかったら、あるいは横の十二単を着て扇子を広げた皇后が「あの者、気に入らない」と言ったら、その刀で下の段にいる誰かを斬り殺すこともあり得るのだから。下で守っている随臣の矢が、上に向くことはまずない。
ただ、子どもの私が欲しいと言っているから買ってくれました。雛人形が2人横に並んでいるものを。思想信条で、回りの動きと違うことをする場合、子どもは板挟みになって苦しんだり寂しい思いをすることがありますから、そこへの配慮は必要だと、私も親として思います。
職人さんが丹念に手作りしたその雛人形を、ぼんぼりを灯して鑑賞するのは今でも気に入っています。雛人形の顔には実に色々なものがありますが、うちのお雛さんは本当にいい顔だと思っています。また、親が信条には反するものの、私の気持ちを尊重して対案として2人横に並んだものを買ってくれたことを思いながら鑑賞しています。
私も身分制度に反対しています。
差別に反対し民主主義を希求するならば、身分差別を容認することはできません。生まれた家系・家柄で、貴い賤いが決まるのは門地差別です。それを認めている歪んだ状態下では、いくら差別に反対、民主主義と言っても、そこに活き活きとした生命脈が通らず、矛盾したどん詰まり状態を延々と続けるものだと考えます。
日本国憲法 第14条
「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。華族その他の貴族の制度は、これを認めない。」
皇室に嫁いでいつも無理して適応障害を発症して苦しんできた雅子氏に人間らしさを感じたり、男を生めと圧力をかけてくるものすごいセクハラに憤り抗議したというエピソードなどに共感したりしていますが、個人に対する感想と制度の問題とは混同してはいけないものです。天皇制の下で宗教行事に多額の税金が使われていて、これも憲法の国民主権、政教分離の原則に明らかに背反しています。天皇御一行が地方に「寄り添い」に来る時にも多額の税金がその時だけのために使われています。市民が使うトイレを天皇には使わせられない…?? 国民の血税を特定の宗教行事や「御来訪」の為や最上級の衣食住に使いながら、「ありがたい寄り添い」というのは無理がある誤魔化しです。Newsでも新聞でも講義でも一般の会話でも、特定の人だけを「様」「~される」「お~になる」と敬語で言いながら、差別はいけないと言うのは、どう考えても矛盾しています。根底にある歪み、捻じれがなくなり、「法の下の平等」「民主主義」「国民主権」に生命脈が通うことを望んでいます。
ところで、引用されている「日本国憲法」には天皇に特別の地位を認めています。このことについてどうお考えでせうか?
また親は身分制度に反対しているのであって、真の平等が存在するとは言っていないし私は書いていません。毒親呼ばわりするのはやめていただきたいです。不公平を政治・制度によって公平に近づける不断の努力をすべきと考えています。それが政治の役割に他なりません。