仲間としていつもお世話になっている女性から、貸してもらった本をパラパラめくると、ある言葉が目に飛び込んできました。
「楽しくサバイブしよう!」
それこそが、今の私の、そしてこれからずっと、テーマなんだと思いました。
私はこのブログを、ブリヂストンで遭った極めて悪質な行為を発信するために始めましたが
それは大きな精神的苦痛を追体験する作業なので、そればかり書くのがいやになり、
色んなことを書いています。でも全部、症状とともに生活することと繋がるのですが。
「楽しくサバイブ」とは、私のテーマなんです。
もちろん、生まれた時にこのテーマで生きたいなんて思ってなかった。このテーマは私が積極的に手にしたものではなく
それを余儀なくされた…そうなった というのが本当です。
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親族に、元教職員で、支援者として社会運動に献身している女性がいます。
色々な情勢、動向をキャッチすることも毎日地道に続け、ジャーナリストのようです。
支援の中で、申立書などの法的文書の作成に尽力したりしています。彼女とはずいぶん親しい関係なので、言われました。
「私が本当にやりたかったことは、これだったかな という思いはどこかにあるのよ」って。
「私は本当は、物を創作するのが 好きなの」って。
確かに、彼女の所有する小屋はアトリエになっていて、彼女が若い頃描いた大きな牛骨静物画(油絵)やデッサンや、
ペンでのラフスケッチ、水彩画、画材などがたくさんあります。彼女の絵は素敵で、才能を感じます。
陶芸をしても、うまいんです。形がいいんです。すごく、才能の塊…
これは私の好きなモーリス・ド・ヴラマンクの絵です。
ラウル・デュフィーの絵
※参考イメージ
美術が大好きで、才能もあった彼女が、社会と闘い、よくしようと、身を粉にして献身する生活に明け暮れ
絵筆やパレットやキャンバスに向かうことはなく、それらは時が止まったように、アトリエの静物となっています。
私も彼女の献身のお世話にまさになっている1人なので、彼女の活動はありがたく、恩恵を受けていますが
彼女の、もともと持って生まれた興味、好きなものは 美術や陶芸といった静かで穏やかなものです。
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いじめをなくす活動に献身している人も、死刑執行された夫の無罪を訴え再審請求をする妻も、
それは持って生まれた興味ではなかったでしょう。そんなことしたくなかった。
絵を描いたり、ピアノを弾いたり、ダンスをしたり、水泳したり、清流に飛び込んだり、山登りしたり、工作したり
世界の写真を見たり、手芸をしたり、友達を家に招待したり が、もともとの興味、好きなことだったはずです。
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話が長くなってしまうので、続く。
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誤解のないよう先に書いておくと、だから闘いや運動なんかやめて、持って生まれた好きなことだけすればいいんだ
という意図はまったくないです。それはスピリチュアリズムや自己啓発本がよく言うことです。上記の、美術の才能をもった女性は、
そんな彼女だからこそ、闘いに直面したと思います。もし、彼女が、岡本太郎のいう「幸せなら手を叩こう!パチパチなんてやる
感受性のかけらもないうすらばか」だったら、社会のおかしさと闘う感性など持ち合わせていないですから、芸術的才能もないでしょう。
おかしな社会に対してなんとも思わず上手に迎合し、その構成員(共犯者)になることと、芸術性は併存不可能だと思います。
絵筆は、カラカラに乾いて埃がかぶってしまったけど、彼女の感性は、キャンバスではない所で活かされている
…と思いたいのもあります。私は彼女の献身活動にお世話になっています。
(感受性のかけらもないの関連記事:的外れなポジティブ思考)