::::::「決行」はできない より抜粋:::::::::::::::::::::
人の誤りやすさ、未熟さ、なにが起こるかわからない不確実性を念頭に置き、わからないこと自体を
危険の一部とみなし危機意識をもってやるならば、とるべき行為はおのずと絞られ、決まってくる。
不確実性を前にして今とるべき行為の選択肢は、そんなに迷う程、思考の海原に広がっていない。
なのにその真逆のことをする人達が、今日の日本では喝采して歓迎され担ぎ上げられる。
堂々ぶった勇ましさ、歯切れよさに、思慮のない人達はついて行く。ついて行ってはダメなのに。
メモしておいた電話番号の紙の右端の数字が破れて切れているだけならば、心配事は
それ止まりですむ。0~9のどれかだから。それを、その隣の数字もまた隣の数字も、
他の数字たちもわからなくしていくようなことをする人達が担ぎ上げられる。
枠内に囲われていた心配事を、手に負えない大海原に放出するようなことをする人達が
担ぎ上げられ続け、エントロピーの増大はとどまることを知らない。
心配事をこれ以上膨らませずに、それに着実に対応し収めていく人が有能な人な筈なのに
限定されていた心配事の範囲を、桁外れにもう誰も把握できない規模までに広げて
無限大に垂れ流す無能極まりない人が喝采をうけて担がれている。しかもそんな
破壊者 タガを外しまくる人が、あろうことか「保守」を自称して喝采されている。
こんなさかしまな国がどこにあるだろうか。
:::::::::::::(抜粋終わり):::::::::::::::::::
維新とか、迷惑な人達のやってることって、上に書いたようなことばかり。
セキュリティの穴を塞ぐのではなくて、逆に広げてカオスにする。
心配事はその範囲でとどまっていたのに、それに対処するどころか、
そこに限られていた心配事の範囲を、大海原に放出して手に負えなくする。
囲まれた心配事
人間が困難に対応し収拾できるキャパシティは驚く程小さいということと、
1つ禍起これば10派生するという理を知っていれば、最初から災禍が起きないようにする
ことに最善を尽くすものなのに、傲慢な人達は、物事をすべて独立した問題だとか、
これとこれとは関係のない事案だとか ○○なだけで済む話だ などと安易にとらえて
高をくくり、禍を膨らませて行き物事がドミノのように倒れて行く。
禍が1つ起きるとそこに完結してとどまらず、隣にある別の事に次々に波及していき、
禍が増大し複雑化する。楽観 (願望) に軸足置いた阿呆は考えが安易で傲慢。
望むと望まないに関わらず、起きることが美しい美しくない正しい正しくないに関わらず、
起きうる災禍に軸足を置いて物事を進めるのが正解で、一番面倒くさくない。
怠慢は最たる面倒を引き起こす。 私の、もの作り考
(その他関連:自分の都合による願望が「頭おかしい」行動を素でさせる 口より現実
不確実なこと、わからないことそれ自体を危険ととらえ禍を最小限に食い止めようと
することを根本に据えれば、やるべき行動の選択肢はそんなに迷う程広がっていない。
自分の願望(あるいは理念)で運転してはいけないことは、教習所で習った。
だろう運転はダメ、かもしれない運転をしなさいと。「そこにいる車やバイクや歩行者が
何をしでかすかわからないことを念頭に置いて運転しなさい」と大人達から言われた。
1つの災禍はそれだけに完結せず派生し増大し複雑化し大惨事になりえるから、
最初から起きないように最善を尽くしておくのが肝要である。
セキュリティホールを広げ、エントロピーを増大させる無能には色んなタイプがある。
怠慢な人間、自分の利益だけ追い後はどうなってもどうでもいい爬虫類脳のサイコパス、
思慮が浅い人間、楽観的な人間、危機意識を低俗だと見下し自分は高尚高邁だと思われたい人間、
信じたいから信じる人間、現実をありのまま見ずに理念を優先させる人間…
サイコパスであっても正義感の強い人間であっても、同じ無能であり、舵取りの判断を
してはいけない人間である。
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根がない所にとってつけたら 中身がない エントロピー増大 エントロピー増大②