1つ変わるとガラッと変わることの不思議。
それはインテリアや家の空間作りやファッションなどでも思うことです。
地味な黒いワンピースに、真鍮のネックレスをつけただけでなんとも
魅力的になったりするでしょう。1つ変えることは大きな威力を持っている。
うつ病で引きこもりで元気も覇気もないから何でも少しずつしかできなくて、
ブルトーザー的にガーッとやることができない。幼子のお使いみたいに
「今日はこれだけやろう」と、蝸牛みたいなペースでしている。
でもそんな調子でやった1つの些細な作業、施した少しの変化はとても大きくて、
次の展開に着想を起こし次のアクションに繋がっていく。本当に不思議。
New Great Changeを施すよりも、小さなchangeを施す改良の方が、revolutionを起こす
ことがある不思議。 改良
欲張らないで、大きく構えないで今できることをすることで生じる次の変化、また次の変化…
いつの間にか当たり前に到達している大きな変化。猿が石で物をコツンとやった時のように。
::::扇動より抜粋::::::::::::::::::::::::::::::::::
46:25~ 西部:
「revolution: re 再び volute 巡り来ること =再び巡り来ること
フランス革命やロシア革命のような New Great Changeじゃなくて 古き良きものが
今の状況の中に巡り来る 状況が違うから 全くの繰り返しじゃないんですけどね
もう一度 姿かたちを変えながら蘇るようなね それをrevolutionと呼んだんだ
だからrevolutionには全く違った2つの考え方があって 過去のよきものを今の状況の中で
活かそうというrevolutionと 過去を全部切り捨てた上で新しい大変化を起こそうという
revolutionとね それ(議論)がフランス革命をめぐってあったっていうわけさ」
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また、私は家に引きこもっていて、このことをよく思う。
心理学者の河合隼雄氏が講演で語っていたけど「同じに見えて全く同じじゃない」。
取り巻く環境、文脈が今と昔で違っているから、「昔と同じことをしてい」ても
全然同じじゃなくて全く違う。講演は子育ての話だったのですが、
”幼い子どもの自分をダンボール箱に入れてほったらかしていた”と言う親と同じことを
我が子にしている親に、それはまずいよと言ったエピソードが出てきました。
農業をする両親がいつでも見える畑、田んぼの傍で、ダンボールに入れて幼児を
放っておくのと、家の一階で親が仕事をしている間、別の部屋で幼児をダンボールに入れて
放っているのとでは全く違うよと。前者は、親と子が互いにいつでも見えて、子どもには
トンボが近づいてきてアメンボや入道雲や鰯雲、とんびや隣の田んぼの夫婦が見えて、
子どもの声、スプリンクラーやトラクターの音、農業用水路を勢いよく流れる水の音がして、
「放っておかれて」いない。でも後者は、子どもは別室で孤立させられて放っておかれている。
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場合によっては、昔と同じAということを、当時と全く異なる現代の状況下ですればする程に、
引き起こされる結果は見事に反転したり。昔の文脈なら いいことだった状態、
誰もが羨む贅沢な状態も、今の日本の文脈上ならとてもまずい状態、危険な状態だったり。
今と昔だけでなく、B国とC国などでも言える。
取り巻く他の要素群が違うと、それらとの関係し合い、相互作用によって、同じXということを
したことで、吉と出たり凶と出たり、中吉、小吉、大凶…と、出方は様々に変わってくる。
インテリア・空間作りでも、全部すげ替える大変化を施すことは、私は好きじゃない。
部分を変えたら、はっきりと、変えたことによってどうなったか――この面ではよくなったが
この面では不便になった、奥の物が快適に使えるようになった、左隣の物が使いにくくなったetc...
――がわかるのに、
ごっそりすげ替えるなら何が違うのかわからなくて、色んなことが有耶無耶になってしまう。
そう、学びながら 確認しながら 気づきながら より賢くなって、舵取りをしていくのだから。
全面的に一掃して別の物にすげ替えるNew Great Change は、その作業ができなくなる。
確認しようがなくて、訳わからなくて、学べない。
だから改良に改良を絶えず重ねて行くのがいいと思う。
Joseph Mallord William Turner