壁紙選び②の続き。
私が好きな芸術は、ラスキン、ミレイといったラファエル前派やセザンヌやデュフィーなどの印象派、宮沢賢治などです。モダニズム、ポストモダニズム、シュルレアリズム (=アート)は、建築含め苦手です。逆撫でして奇を衒うのが苦手で、声高でないけどあるものを敬虔な眼差しで浮き出して見せるものが好きです。13年前に友人が、誰かの格言を私に紹介して聞かせてくれました。
表現とは、キャンバスやカメラや楽器に向かって「いざ」と取り組むものではなく、生活の中のあらゆる行動の中に宿っているし、宿らせるものだ、というものでした。彼女は茨木のり子さんの詩を私にプレゼントしてくれたりもしました。今、親になってあの言葉を思い出します。子どもに呼びかける声や、触る時の手つきや、その顔を見ている時の表情などに、表現が込められていることを思います。口でどんなに体裁が立派なことを言うよりも、それらのものに、本当のことが宿っていると思います。口で高尚なことを言うけれど、それらのものからは愛情が感じられずに冷たいなら、それが本当だと思います。
人が頭をこね回して口で言うことは、深遠なる潜在意識の中のほんの表層に過ぎないのに、やたらと声高で理路整然としている一方、内発的な訴えは声が小さいし、論理で武装されておらず、か弱くて今にも消えそうです。そういうものを、敬虔にすくい取って見せるものが、私は優れた芸術だと感じます。
以前はなにかを選ぶ時に、スペックや機能性や一般的なリーズナブルさ、そういった第3者的声を取り入れて、客観的に利口とされるような選択に努めていたのですが、それは深いところでの欲求や感性を無視したものであり、そのような選択をしても実際賢くなくて、心が満ち足りないことを知りました。主体がそこにないからです。そういう「リーズナブル」な選択をするたびに、肝心ななにかが無下にされていたと思います。
今では、一般的にAを選ぶところを私がDを選んで「え??!」とびっくりされて「前代未聞のアホ」と言われても、心穏やかな気持ちでDを選び取るようになりました。ノートに線を引いてメリット・デメリットを書き出してみて、デメリットが多くても、深いところでの欲求に叶ったものであれば、それを選ぶのが正しいと思います。メリット・デメリットの分類は、しょせん理性による判断、深層に届かない表面的な仕分けであり、理性は尤もらしく正しそうな顔をしているけれど、実際には正しくないし盲点だらけです。私は内からの小さな声の方を信じることにしました。