世界の国々を植民地や従属国として支配する帝国主義:Imperialismにおいて、その達成にとって肝要なのは、情報支配して、人々の価値様式つまり文化を支配することである。文化を支配すれば、市場を支配できる。
私たちが巻き込まれているグローバリゼーションは、目に見える武力の行使はないものの、情報支配によって計画的に進められている新たな帝国主義である。
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アントニオ・ネグリ(Antonio “Toni” Negri、1933年- )イタリアの哲学者、思想家、政治活動家。(86歳)
「グローバリゼーションは、新たな帝国主義である。諸国民国家の主権は危機に瀕している。帝国の構成過程は進行中である。」
「我々は〈帝国〉の中で生きている。」
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これを押し進めている人達にとって一番やっかいなのは、各国、各民族の価値様式、文化である。市場を支配するのに邪魔になる。
各民族が伝承してきた叡智としての伝統、文化の破壊がなされてきた。今でもそのまさに最中である。
経済的に貧しい者は、それゆえに、真っ先にその市場支配に加担してしまう。お金がないゆえに安いものを買うからである。これは構造的な摂理である。持たざる者が真っ先に市場支配の標的にされる、と言うべきか。
貧しい人達や若者は、安いファストフードやSaversで買ってきたどん兵衛などで食事を済ませ、ユニクロなど工場で大量生産された低価格の服を着て、国産を買わずに安い外国産の農作物を買い、合成素材の廉価な家具等を買う。ピアノが好きでも、職人が丹精込めて作った手作りは買えないから、海外の大規模工場で大量生産された工業製品を買う。(関連:昔のピアノ) 家を建てるとしても、経済的な制限から、プラスチックやビニールでできた新建材をふんだんに使った家になる。予算の関係から、窓には軒をつけない。(軒がないと家が早く傷む)
経済的に余裕がある人達は、国産の有機野菜やよい環境で育った乳製品や卵を買い、フィリピンのバナナ農家を援助する為にネグロスバナナを常食し、上質な素材でできた衣類を纏い、本物の天然素材で職人が作った家具や楽器を買うことができる。住む家にも、上質な自然建材を使うことができる。洗剤などは、環境に配慮した有機的なものを選ぶことができる。消費者にとっても生産者にとっても良いものを適正価格で売る社会理念に立った生協などの組織の会員となることができる。
私も経済的弱者であるため、自ずと選択肢は限られてくるという状況にいた。もし予算的に買えたとしても、それが古いアンティークであるために性能、スペックの面では「劣る」場合、メンテナンス、部品が…多分もうない… 色々なことを考えて、買わなかったり。「こんな古いピアノを100万で買うのか?お前はばかか」「○×ヶ月働いた給料が消えるんだぞ。それに捧げるのか?」「前代未聞のあほだ」という「理性的」な声が斜め上から独りでに聴こえてきたりして。(参照:ピアノ屋で出会った芸術家) 持たざる者は、哀しいことに、究極のコスパ計算をする者にもなる。経済的弱者は、非常にシビアな血も涙もない判断をする立場にいるという側面がある。
貧しい人達は、帝国主義勢力による市場略奪において、消費者として真っ先に標的になり、狙い通りに彼らの大量生産品のステディなお客様になり、伝統破壊を担ってしまうという現実がある。
私も、伝統の破壊に協力して、上質な物を心を込めて作っている職人さん達を駆逐することに加担してきた業を負っている。また、家族と一緒に暮らさずに核家族化、ひとり暮らしをすることで、このことに拍車がかかり、支配層は喜んでいる。ひとりで暮せば、家具、家電、生活用品、文房具…あらゆる物がそのひとり部屋で必要になってくる。また、その土地や住居に根を這っている訳ではないので、いつでも移動できるように、プラスチックやビニール素材が好都合になる。木でできた家具は、重い。また、軽い気持ちで捨てられる物は、存在が重いものよりも、その場所に根を張らない暮らしには好都合だ。暮らしの場は、間に合わせ、その場しのぎの物で溢れかえる。
人々を貧しくキープしておくことは、かれらの市場略奪支配を存続成立させる重要な土台である。余裕をもってしまったら、選ぶことができるから。選べないようにしておくことが肝要である。
ウィリアム・モリスは、アーツ&クラフツ運動と社会主義運動に没頭しながら、同時に矛盾を抱えていた。彼のモリス商会のお客さんは、お金持ちばかりだった。彼は勿論自覚して苦しんでいた。今でも、ウィリアム・モリスの製品は高級な輸入家具屋とか百貨店とかに置いていてとても高い。 (関連:世界の漆喰)