19世紀の美術評論家ジョン・ラスキン(1819-1900年)は、古い建造物になされている修復を破壊と捉えていた。彼は、『建築の七燈』のなかで「修復」をこう定義している。
”一般の大衆によっても、また公共の記念建造物を管理するものによっても、修復ということばの本当の意味は理解されていない。修復とは、建築があたうかぎりの徹底的な破壊、そのむかしの面影がまったく想像できないほどの破壊を受けることを意味する。そしてその破壊には、破壊されたものについての偽りの描写がつきものなのだ。” ジョン・ラスキン、『建築の七燈』(1849年)より
「修復」と「保存」の違いに注意を向ける彼の文化財に対する態度は非常に示唆に富んでおり、今後も重要な考え方として受け継がれていくべきものである。
ラファエル前派の芸術家たちは、ラスキンに多大な影響を受けた。1877年に、古い建築物の修復と銘打った破壊の阻止を目的とした古建築保護協会をウィリアム・モリスらが創設した。初代会長はモリス。
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私の子どもは、言葉に関してはわりと早熟な方だと思います。「ママ、その階段、劣化してるよ。気をつけて」
劣化という言葉を覚えて、使っています。町を歩いていて、石や木など自然のもので、古くなったものに対して劣化という表現を使ったので「時間が経って古くなったら劣化ではないのよ」と言いました。「石や木、土、石灰とか貝殻とか自然のものが時を経て、古くなっても、それは劣化ではない」
「じゃあなんて言うの?」「えっと … 歴史を刻む。」 子どもは理解したみたいでした。
「味が出る、深みが出ていい感じになる、朽ちる」 「例えば土で作られる陶器でも、時間が経つほど美しくなることを経年美と言うんだよ」「そして最後には自然に返る」 ←→ 「偽物は経年により美しさや深みをもつことはなく、劣化する」
木は、伐採されて300年経つと最高の強度になる、本領を発揮すると本に書いてありました。私がバイトしていたこのお店も、江戸時代からある木造町屋でした。毎日、木を雑巾で拭き掃除していました。
建築家のおじちゃん:「それは正しい」「布で表面を拭くことは、磨くことだ。磨くと、長持ちする。」
宮大工の故・西岡常一氏は、「木は1000年以上の耐久性をもつ」と言っています。(コンクリートは50年です)「欅(けやき)は皆いいというが、やっぱりダメですなぁ だって欅はもって、せいぜい800年ですから」とも言ったそうです。コンクリとかプラスチックとか論外です。
だから、木造建築を何十年で「老朽化」などと言って壊すなんて、家が可哀そう。
「人間も、年をとるのは劣化じゃない。だから、ババァとか言うのは間違ってる フランスではマダム:Madameと呼んで敬意を払うんだって」
「ジジィババァは早く死ね」と言ったり、年をとった人を悪く言う風潮のある日本とは全然違う態度です。日本では、商業界からの絶え間ない声高なコマーシャリズム、扇動により、人の経年を劣化とする考えが幅を利かせています。ブリヂストンの熊谷秀和さんも材料試験室で、年配女性社員を陰でババァと罵っていました。
劣化と呼んで、しなくていい取り壊し、廃棄、修繕が、なされているので、子どもには、古い=劣化という考えは違うことを教えておきました。言葉とは、人を思い通りに操作したい企業や政治的勢力にとって、非常に都合のいい道具になるものです。呼び方で、考え方を一方向に植え付けることができるのですから。
New! 新しくなった 生まれ変わった バージョンアップ 等と銘打った実質的な劣化も横行しています。建築材料で、軽量化、運搬コスト削減、CO2削減、エコロジー等とポジティブに称しているが、プラスティック素材を混入して偽物になっていたり。楽器の世界もそうです。
ラスキンの言った「修復は破壊」は、ここまで酷い劣化のことではありません。
彼の描いた素描はどれも、繊細な手仕事で素晴らしかったです。
私はそれらを見つめながら、ラスキンや、彼に多大に影響を受けた芸術家たち、モリスなどは
今の日本を見てどう思うだろうと思いました。彼らの世界とは真逆の世界です。卒倒するかもしれません。
The collection of poems ”Italy” written by Samuel Rogers