現代のより昔のピアノの方が、好きだと感じるのは
昔のは、どんな楽器を作るかという、音楽を目的として作られていたのが製品から伝わるからです。
今は、効率性、合理性、時短そういった、会社の都合が全面に出て出来た「工業製品」だから、弾く気がしない…
楽器というのは、本来そういったものと真逆のところに位置するものだった筈です。
YAMAHAのピアノは、オールドのはいいのですが、量産以降、ハーモニカっぽいです。
製品のコンスタントな安定性は抜群です。非常に優秀な工業製品です。
でも、楽器として一番大事なものがないなら、致命的な欠陥です。
鍵盤は、ピアノと弾き手の接点で、弾き手が指先で音楽を紡ぎだす所です。
そこがプラスチックなのがどうしても気に入らない。象牙にするべきだと言ってるのではないですが。
有機的建築を理念として提唱した建築家フランク・ロイド・ライトは
「代用品は絶対に使うな」と言っています。
代用品の権化がプラスチックです。感性・生身性・詩の反対にあるものです。
弾き手とピアノの接点である鍵盤に、プラスチックを使わないで欲しい。
日本の伝統建築に衝撃を受けて大いにインスパイアされたライトが
代用品で占拠されて本物が駆逐された今の日本を見たら卒倒するでしょう。
建築家のおじちゃんの家の壁に、ライトの写真が掛けてありました。
おじちゃんは、ライトが日本の伝統建築に影響を受けて偉大な建築家になったことを、誇りに思っていると思います。
昔は、国内にYAMAHAやKAWAI以外にも、たくさんの楽器製造社があり、職人たちが手作りで
本物の「楽器」を作っていました。でも、列強に潰されて廃業していきました。
いい楽器を職人の手作りで作っていた会社が、大量工業生産の大手によって潰されて行きました。
哀しい本末転倒だと思います。
昔のいいピアノを弾くと、その時間は濃密なものになります。胸がドキドキします。
それは、生産品ではなく、存在だからです。