社会を今よりもよい方に、変えようとするには、今の状況に片足突っ込んだまま
変えていく。突っ込みもせずに、「理想に少しもぶれずに、どこから見ても清らかで澄み切った
純度100%の状態で忠実に進めようとすれば、何百年かかるかわからない。」と書いたが、
(教養人と大衆の壁) そんな日は永遠に訪れないだろう。 この哀しい社会の中で
私達は、この社会に既に片足いや両足突っ込んで生活している。
そうでなければ、生きていけない。
もし、業に加担したくなければ、完全な自給自足生活となるだろう。
狩猟をし、魚を捕まえ、田畑を耕し米や野菜を作り、糸を縒り、服を編み、のりを米から作り、
木を山から切ってきて、家を作り、薪を集めて火を起こして、井戸を掘り…
私達は、この社会の中で業に加担しながら生きている。
特に、貧しい人は選択の余地なく加担を余儀なくされる。 伝統の破壊は貧者が担う
だから、安心安全の無菌状態での仲間内での議論(議論とはいわない)で純粋培養され
精鋭化した思考をもつ人達がいくら社会を変えようとしても、オルグすらできないし、
社会を変えることから一番遠い所にいる。既に片足両足突っ込んで自分も生きていることに触れないで
首から上と下が分離したまま、なにか偉そうに雄弁に話しても、むなしい。
劣等感を擬装し自分の状態を粉飾決算してこじらせた結果、抱いている特権意識はとても醜く
そんな症状を呈した者が「社会を変えよう」と街行く民衆に上から目線でLOUDLYにSPEAKしても、滑稽である。
オルグとは、人々を見下しながらするものではなく、仲間として手を繋ぎ力を合せようというもの
であるのに、特権意識(劣等感が変形した腐敗物)をもっていながら自己矛盾した姿勢で
「オルグ」しようとしても、生活者たちは相手になどしない。
誰かの自己愛を源とする自慰的行為につきあっている暇は、生活者にはありはしない。
私達は、業にどっぷり浸かりながら生活している。
そんな中で、生活者であることを棚上げしないで、仲間として団結し闘って、
社会をよい方向に変えていく。そういう姿勢であれば、運動のうねりは広がる。
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