大本(おおもと)のところで嘘をついていて、嘘をベースにして色んなものが構築されている場合
いくら1つ1つを取り繕って「成り立たせ」たって、嘘の弊害は至る所で起きている。
(関連:腐敗が最初から約束された組織 余計なことを一切しない 責任ある態度
嘘に基づいた積み上げ 強迫性症状② …etc)
嘘に基づくことは何もするべきではないし、私はしたくないと思っている。
余計なことをしない事が大切なのに、土台:ベースメントの肝心な部分が嘘でできていたら、
余計なことの上から色んな物を築き上げるということであり、築き上げられるあらゆることは、
おかしくなっていくの、当たり前ではないか。余計なことをするくらいなら、何もしない方がいい。
嘘(あるいは自己欺瞞、自己洗脳、捻じ曲げ、ひねり上げ、あるいは偽装)から始まる物は
最初から失敗が約束されている。それを、どうにかなると思って見切り発車・断行することは
物事をなめきっている。「偽装が偽装だとばれないまでに、塗り固めていけばいい」とでも
いうかのように。嘘を必死で塗り固めていっても、醜い作品にしかならないのに。
「自分も関わる人達も、大丈夫。(うまく騙せる)」と思ってやってるらしい。
嘘つきは、蔑ろにする。絵描きで言えば1つ1つの筆を、ピアノ弾きで言えば鍵盤へのタッチを、
数学で言えばすべての数式の緻密さを、子育てで言えば乳児を扱う手つきを、蔑ろにする。
1つ1つの働きかけは、小さくてとても大きなもの。そこに真実が現れるのに。嘘つきは
それらがどれだけ物を言い、ことを左右するかをわかっていなくて、軽く見積もって、
雑に行い、雑なくせにそれを尚積み重ねて行けば、「大丈夫」だと思ってる。
嘘つきは嘘の上になにかが、ばれずに築き上げられると思っている。
答え:築き上げられるが、それは、修復に途方もないエネルギーがかかる、負の遺産。
それを築いたことで、途方もない災難が噴出し、悲劇を招く、無責任な負の存在。
嘘つきは、不条理を量産する。やることなすこと、悪手。ことを悪く運ぶ。
根底部分で間違っているから。
そのことに蓋をして、認めず、硬直した姿勢で、一点張りの嘘にしがみついている。
嘘つきは、嘘に気づかずに騙されてくれる頓馬に囲まれているうちは気をよくしているが、
その嘘に気づき指摘する人が現れたら、余裕は消え失せ、その豹変、逃走ぶりは不様を極める。
嘘に嘘を重ねて、雑にしのいできて、ばれることなく「大丈夫」と思ってきたのに、嘘を指摘する
存在が現れると、恐怖し、自分の莫大な加害を棚上げして被害者面に転じ、逃走するのである。
嘘が枝葉末節だったらいいのだけど、根本部分で大きな嘘をついているから、それを指摘された時の
狼狽ぶりは、死にもの狂いである。