ブリヂストンA工場で働いて、私が見たもの、私がしたこと、私に起きたことを発信します。

感覚のへし曲げは誰かの利益に繋がっている

2019-08-02 | 建築・インテリア

自然な感覚を、へし曲げることが当たり前になっていて、

本来の当たり前の感覚が、奪われていっている。(関連:不自然にへし曲げられた感受性

君臨している一握りの少数派の人達の利益の為に、そのへし曲げの普及は強化されている。

 

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昔、学生時代に友人に連れられて、安藤忠雄の講演を聴きに行ったんです。そして、2人の感想は

名高い建築家、安藤忠雄に対する、「え?」という幻滅でした。

「今の若者は、我慢ができない ひ弱だ」「人間は強いのだ 可能性だ 快適など糞くらえ」みたいに

自然な感覚を強烈に否定して、我慢を強いる体育会系主張を我々若者にしていました。

「安藤忠雄って、あんな人だったんだね」 「鬼軍曹みたいだったね」 と話して帰りました。

 

彼の建築は、全面コンクリートとか、窓が1つもないとか 不自然とか 見ていて不安とか 

生活がしにくい とか 全然落ち着かない とか なにかが足りない とか 冷たいとか

人間の動物的感覚に反する「変な」のをいけてるものだと世に打ち出して、

それで利益を受ける人達(セメント業界とか、電力業界)に担がれて寵児となった。

私は彼が賞をとった建築物に、住みたいと思わない。住吉の長屋は、お金を貰っても住みたくはない。

コンクリートは、人が住むのに適さない。夏は熱がこもり冬は凍える。

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伝統を否定した奇抜なモダニズム様式(ポストモダンも含む)が、coolなものとしてもてはやされてきた。

 

私は、快適で 落ち着いて 五感が喜ぶ環境に身を置きたい。長い年月をかけてできた伝統を汲んでいて

あらゆる所が理に適うよう作られていて、おさまりよく調和している建築。

 

でも、人は、これがいけてる ということにされたら、拷問みたいな選択肢をとったりする。

それは、自分の当たり前の感覚よりも、社会的なアピールをとってなされる。

社会的にそういうことにされたら、人はどんな行動だってとりうるというのは、戦時中に証明されている。

出征してイモムシみたいな包帯姿で返ってきた自分の子どもに「万歳」と言った。

 

  

 

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フジコ・ヘミングのピアノは、自然に五感六感に沁みわたって響き、満たされる。

  安心して、子どもと寝ながら聴ける。


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