江田島には海軍兵学校のほかに
バルチック艦隊の襲撃に備えて
砲台が設けられており
ーーそれは点々と瀬戸内海の島に作られたーー
その跡が今も生々しく残されています。
「坂の上の雲」との連想で
明治という時代の健気な意気込み
には頭が下がります。
絹と米しかなかった日本が
ロシアと対峙しようとし
あの懸命な努力の結果が
近代化の成功でしたが
これにひきかえ第二次大戦の日本の
悲しいほどの幼稚さはどうしたことかと
思わずにはいられませんでした・・・
どうしたことでしょう
原爆が投下された広島を彷徨っていた人が
「竹槍」を持った婦人たちの群れに遭遇した
らしいのですがーー
原爆と竹槍ですよ!
悲しすぎます。
しかもあの国みたいに「千年の恨み」を
言うのでもなく
「あやまちは繰り返しませぬ」って・・・
だれがあの残虐な大量殺戮をしたのですか?
日本ですか?
煮え繰り返る思いでございます。