八月のこの盛りになると
あの時代の食卓をぼうっと思うことが多くなりました。
そうです
敗戦前後の食事のことです
疎開家族はほとんど
似たような経験をしたのでしょうか。
ご飯は「盛りきり」といって
「お代わり」は禁じられていました。
ご飯にはたくさんのくすんだ緑色のものが
入っていました。
スベリヒユです。
これを取りに行くのは
なぜか私の役目になっていました。
バケツにいっぱい、溢れるほど
それは墓地の近くに群生していました。
サツマイモやカボチャは
上等の食べ物の類でした。
田や畑を持っている人たちが
どんなに羨ましかったか
あの時代のことを思うと
少々のことは耐えられそう
と
思っていたら
同じ体験をした妹は
二度とあんなことはごめんだと
後になると美食家になりまして・・・
幼年時代の体験は
それぞれに深いものでございます・・・