Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

違和感のある“風”

2022-01-29 23:54:46 | ひとから学ぶ

朝日新聞の報道は次のようだった。

 事件は日曜(1月23日)正午ごろ、東京方面に向かう車内(JR宇都宮線)で起きた。高校生は友人3人と遊びにいく途中だった。加熱式のたばこを吸って高校生に注意された宮本容疑者は顔を近づけて威嚇。高校生が「離れてください」と押すと、宮本容疑者は「手を出したな」と激高して顔を殴ってきたという。

 駆けつけた車掌や同級生らが止めに入ったが、暴行は止まらなかった。宮本容疑者は停車した自治医大駅で高校生を車内から引きずり出し、さらに暴行を加えた。暴行は車内と車外で10分以上続いた。高校生はほおを骨折した。その後、宮本容疑者は駅員が離れたすきに電車で立ち去ったという。

( )内は記事の一部を引用したため、わたしが付け加えた。この短い解説から全てを知ることはできない。したがってこの事件についてさまざまな議論になっているが、あくまでも報道内容の情報からだけのものが殆んどだ。例えば見ていた周囲の人は何もしなかった、とかほかの方法があったのではないか、といった意見をするつもりはない。高齢者を中心とした在宅医療に取り組んでいた医師が殺された事件は、記憶に新しい。世間では不可解と言おうか、考えられないような事件が起きる。したがって「そういう社会環境にある」ことを自戒し身を護るのも当然のことなのだろう。報道だけでは結果にしたがった善悪に導かれることになり、「本当はどうだったのか」ということ解からない、あるいは報じられないことも多い。

 このJR宇都宮線の事件については、本日の「中居正広のニュースな会」で扱った際に知った。いわゆるワイドショー的番組であるから、コメンテーターの印象意見に頼られることになる。そしてこの扱い方が気になったため、ここに留めることにした。番組では勇敢な高校生の行動は理解できるが、こうした事件を起こす者は、言っても解からないから障らない方が良い、的な流れであった。気になったのでこの事件報道に関するネット上の記事を拾ってみると、25日放送の「羽鳥慎一モーニングショー」において玉川徹さんが「「(暴行を)止めに入らなかった人を責めることを僕はできないと思います。そういうことを見かけたらSOSボタンを押すというのを知ってほしい」、「(容疑者は)たばこを吸って横になっていたわけでしょ? 異常で違う社会に生きている人ですもんね。場合によっては暴行で逮捕されても構わないくらいの世界で生きている人だとしたら、もう止めようがない。それはある種、触れない、自分たちでは関わらないでボタンを押すという形で対応してもらうっていうのがベストなんでしょうね」と話したという。また司会の羽鳥慎一さんは「正義感から来る非常に勇気ある行動だとは思います」、「ただ、電車内でたばこを吸うような人間に注意するというのは危険でしょうね。話が通じるような人間じゃないでしょうし。あおり運転するような人間も同じですけど、話したって通じないわけですから、閉じこもって相手にしないというのが一番だと思います」と述べたという。番組内の流れは「中居正広のニュースな会」もほぼ同様で、注意した高校生は偉いが身を護るためにも行動を起こさなかった周囲の方に理解を示すものだった。

 あらためて朝日新聞の報道を見てみると、この場合車掌も止めに入っていたという。SOSボタンを押したとして、状況からどれほど解決を早めたか疑問とも言える。もっといえば、「中居正広のニュースな会」では怖いから動画をとって証拠にした方が良いというようなことを薦めていたが、高校生が暴行を受けてもし命を落としていたらどうだっただろう。世間が行動を起こさないことを薦めるような風潮はいかがなものか。もちろん誰しも自分だったらどうしていただろう、と考え、何もできないと思うのも当然だが、風潮として「何もしない」が正論だという流れは作って欲しくない。どちらの番組でも例題に挙げられていたが、どうもこの流れは煽り運転防止に向けた道交法改正あたりから変化している。何度も記してきたが、煽り運転は、今や嫌な思いをして急ブレーキをかけると、掛けた方が煽り運転として扱われる。もちろんケースバイケースだが、ドライブレコーダーで身を護る策を講じるのと同じような風潮が、世間を変えてきているのではないだろうか。日本社会も他人には期待できない社会になった、というわけである。


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