長野県民俗の会第213回例会は、長野市立博物館に保管されている481点にのぼる県下各地の「小正月のツクリモノ」等が、「小正月関係資料コレクション」として県有形民俗文化財に指定されたことについて考える例会となった。この指定にかかわられた長野市立博物館の樋口明里さんより指定された481点について説明がされ、そのうちのいくつかのコレクションについて実物を拝見した上で、午後はこれらコレクションを中心にした意見交換となった(平成30年8月29日答申物件)。
そもそも指定された物件についての長野県文化財審議委員会の答申内容に触れてみよう。答申された際の「長野県指定文化財調査票」によると、
本資料は、長野市立博物館によって平成6 年以降収集された、小正月関係資料のコレクションである。長野市内のものが多いものの、北は下水内郡・下高井郡から南は下伊那郡・木曽郡に至る、広範囲に及ぶ資料が収集されている。
その種類は多岐にわたっており、道祖神像・性器形態物などのA.神体・偶像類、農具雛形・福俵などのB.祈願品類、C.削り掛け・幣束類、箸・鳥追い用拍子木などのD.呪具類のほか、E.製作道具・素材に加えて半製品までが含まれているというのが特徴である。さらにはF.小正月行事の記録類や、G.大正月行事のツクリモノといった関連資料も収集されており、その数は481 点に及ぶ。
とある。そして指定理由について
高度経済成長に伴う農業構造の変化により、農業従事者が減少するとともに種々の農耕儀礼も簡略化あるいは消滅の一途を辿った。こうした環境において本資料は、農耕儀礼の中でも主要な位置を占める小正月関係行事の、県下における系譜を知る上で重要である。
また、小正月行事における地域差を把握する資料として高く評価されるとともに、農業に寄せる人々の心情を推し量る資料としても貴重この上ない。
とある。何といってもこうした有形民俗文化財については、その活用に限るだろう。そういう意味でも今後公開されて、人目を浴びることによってそれは活かされるわけだ。
実はこれら481点について「コレクション」と標記しているように、意図的に集められたものというよりは、たまたま集められたものが481点あったと言った方が正しいだろう。これらを集められたのは、かつて博物館に勤務されていた辻浩子学芸員だ。平成6年ころから数年にわたって集められたものが主で、これらは博物館に埋もれていたモノと言える。それらが文化財として日の目を浴びたことは評価されることだろうし、指定されたことで、他の博物館から貸与依頼を受けることが多くなったとも樋口さんは言う。文化財の活用という面では、やはり指定を受けることに意義があると言えるのかもしれない。
これらコレクションを見たとき、少なからず違和感を抱いたのは、コレクションだからだろうか、樋口さんの説明にもあったが、実際に小正月に作られた、というよりは展示のために再現されたものがそれらに含まれているということだろうか。考えてみれば博物館に所蔵されていた経緯をみたとき、企画展などの展示のために作られたものが少なからず多いのも無理はないということだ。ようは行事における実際の対象物ではなく、再現されたモノであって、その経緯から実物とは違った作り方がされていても不思議ではないということ。確かに指定理由にある通りなのだろうが、それらが言い方を変えれば模造品とも捉えられる点だろうか。もちろんすでに20年以上経過していることから、今調査に出向いて収集できるものではないことは十分承知している。だからこそ価値があることを認めもものの、それら481点の背景についてはよく調べておいた方が良いのではないかということ。わたし的には、481点のリストよりも、ひとつひとつが、博物館、あるいは集められた辻さんがどう扱われたか(発表された文献とのリンク)を知りたいとリスト一覧を見ながら思ったわけだ。
さて、意見交換の中では、これら物件が長野市内のものだけではなく、全県下の物件が含まれていることに関連して、あまたある県内の資料をどのように位置づけ、これら指定物件をより活かすためにも県内における小正月関係のモノヅクリについて体系化できないかという話になった。そうした中で浮き彫りになったのは、博物館の連携という課題だ。県内には多くの博物館があるが、例えば学芸員の横の連携がされているかといえばNOである。そもそも学芸員が忙しくて、さらに人数も少なく、他人だから理想を口にするが、現実的には無理な環境にあることは十分承知している。もちろんそれらは、予算措置的な問題なのだろうが、現実的な問題について、そもそも行政下にある多くの博物館が大きな主張をすることもできないのだろう。と考えたとき、こうした現実的な課題を話し合う場面にこそ、行政関係者が足を運んで生の声を聞いてほしいところだが、わたしたちのような趣味で集っている者が愚痴を吐くしかない場になってしまっている。光の当たる場所には足を運んでも、現実の姿には目を留めようとしない行政の姿勢がうかがえる。連携できない博物館に比較すると、図書館はどうだろう。県立図書館が主体となって、かなり連携が取れるようになったと傍目には見える。そう考えると、あまたある市町村にある博物館をつなぐ役は誰がするべきか、自ずと見えてくるのだが…。
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