Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「運」がなす業

2024-12-03 23:28:46 | つぶやき

 人には「運」というものがある、そうきつく教えられるような出来事があった。裏を返せばのほほんと暮らしている人たちも大勢いるのに、なぜ「その人が」被らなければならないことだったのか、まさに「運」なのである。

 帰りがけに従妹の家に立ち寄った。1週間ほど前に庭木の剪定をしていて脚立から転落し、首の骨を折って手当てのかいなく亡くなった。労災認定されたというが、従妹がアルバイトで剪定作業に行っていたことは知らなかった。身体は丈夫で事故に遭うかしなければ長生きをされたに違いない。落下するといってもその状況で様々だろうから、死に至る特別な例だったといえる。1時間ほど心肺停止だったということが大きかったし、頭部から落下したという状況が大きな要員になった。

 2015年になるからもう9年余前のこと、「また、ひとつの別れ」を記した。首都圏にそれまで暮らしていたが、奥さんの実家のある奄美大島へ移住した従兄弟は、子どものころによく遊んだ。身近な従兄弟の一人で、その兄が今回脚立から落下して亡くなった従兄弟にあたる。奄美大島へ移住した従兄弟はまだ50歳代後半だった。そしてその兄は60歳代後半。いずれも長寿の世において早い別れとなってしまった。いずれも事故で亡くなったことになる。従兄弟の母親が父の妹にあたる。叔母さんは93歳、まだまだ元気で足が少し不自由になってきたが、見た目は90歳代には見えないし、記憶もはっきりしている。息子さん二人を見送ることになったつらさは痛いほど伝わる。時おり手土産を持って立ち寄っては、叔母さんの顔を拝見していた。最近はその度に従兄弟とも顔を合わせては「みんな元気かい…」と声を掛けてもらっていた。あっけない別れで言葉が詰まる。まさに「なぜ」二人とも、と思う。「運」とはこんな時に使う言葉なのだろうか。繰り返すが、転落の仕方はたくさんあるだろう。そんなたくさんのパターンの中で、なぜ選択された道筋だったのか、そう思わせる事例なのではないだろうか。兄と生まれた日が近かった従兄弟。その従兄弟の分も、叔母さんには長生きをして欲しい、そう思った。

合掌


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