道祖神場の祭壇
平桶
最後に残った木像道祖神
旧豊田村の木像道祖神(昭和40年代)
木像道祖神
前回は石造の道祖神について触れた。『石造文化財』(野沢温泉村教育委員会 平成3年)によると、石造の道祖神は野沢温泉村に10基現存する。ところが道祖神祭りを行っている虫生や栄村に近い七ケ巻や東大滝といった集落には石造道祖神がない。これらの地域では祭りの際に木像道祖神を作る風習があり、道祖神というカタチは木像で表されているのである。このように石造道祖神がなくとも道祖神祭りは行われる、という背景は興味深い点である。とはいえ木像道祖神が祀られている以上道祖神がカタチあるものという認識はされているということになるだろうか。
今回お土産という意味合いでもなかったが、木像道祖神を購入して帰った。「野沢組惣代」と刻印された道祖神は、道祖神祭りを取り仕切っている野沢組の公印入りとも言えよう。野沢組については別項で述べるが、道祖神祭りを継続する上で現在では大きな存在となっている。公印入り木像道祖神に同封されている「木像道祖神」の説明文には次のように記されている。
この道祖神は、子どもの健全な成育を祈り、年頃の子息・娘の良縁を願って作られるもので、現在でも、こけし人形大のものを毎年作っている家も相当見られる。
野沢温泉の木像道祖神は、カワグルミ・シナノキ・シラカバなどの木を切り、上部の皮を削り、墨で顔を描く。着物は内山紙を切って、梅紋・巴紋を入れ、紙の帯で結んで男女一対を作り神棚に祀る。
一月十四日の夜から十五日の昼には「道祖神の年取り」と言って、この神像に灯明と神酒を供え、御馳走を供える。十五日には「お前の家を見せるぞ」と言って、道祖神場へ神像を持って行き、社殿に参拝する。
道祖神場には平桶が置かれており、前年のものはそこに納めるか、前の人が置いて行ったよいものがあると、持ってきたものと交換してきた。これはよい縁が結ばれるとの意味からで、持ち帰った神像は再び翌年まで神棚に祀られる。
ようは購入した神像も道祖神場の社殿にお参りすれば道祖神として正式に神様になるということになるだろうか。平桶に持ち寄られた木像道祖神の中にも購入したものと同じような惣代印が刻印されているものがあり、村人の中には自ら作るのではなく、購入した道祖神を神様としている人もいるようだ。道祖神場に設けられた巨大な木像道祖神の前に平桶が用意されていて、これを見た当初はてっきり古いものを道祖神祭りの火で燃やすために寄せられたものと思い込んでいたが、このように交換するという意味があったのである。とはいえ平桶の中には古い御札などが寄せられていて、明らかに「燃やしてもらう」ために入れている人もいることをうかがわせた。この平桶に入れられた道祖神は、火祭後の翌日の朝には桶から出されて燃え尽きた社殿の庭に並べられていた。最終的に残ったものは燃やされるというから、最後の残り火で火に入れられるのだろう。並べられている道祖神を交換せずに頂いていく観光客らしき姿もあった。説明文の通り、本来は木像には和紙によって衣が付けられるのが筋なのだろうが、平桶の中の道祖神は、衣の付けられたものばかりではなかった。
野沢温泉の木像道祖神はまさにこけし風の丈の短いものであるが、周辺地域ではこれを棒状に細工している地域もある。かつて「カドドーシン」で触れた旧豊田村の御幣型の道祖神のように。
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