Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

人生の終盤に入る前に、

2018-08-22 23:39:57 | ひとから学ぶ

 先ごろの山口県で行方不明になった2歳男児を救出した尾畠さんは「すごかった」の一言に尽きる。なぜそれまでの捜査で見つからなかったのか、不思議でならない、と言ったら関係者に失礼なのだろう。たまたまだったのか、どうなのか、とはいえ、捜査を始めてすぐに見つかったというのだから、偶然であるとともに、不思議な事件だったと言える。それにしても、尾畠さん、65歳を機に「残りの人生を社会にお返しさせてもらおうと思ってきた」と言うとおり、ボランティアにすべてを捧げている。これまで生きてこられた人生を、「感謝」の気持ちで振り返らない限り、そもそもこのような発想は始まらない。65歳、今で言うなら、一応社会での一区切りの年齢にあたる。わたしもそんな年齢に遠くない年齢になった。自分勝手なことをたくさんほざいてきたが、人の言葉を含めなくてはならない身になった。すると、今まで以上にいろんな人びとがいると気づき、その中で何を掬い上げていけば良いか、悩むことが多い。

 転た寝の後、床に入っても寝つきがよかったのに、近ごろ、いろいろ頭に浮かんで、なかなか寝つかれない。転た寝をした後ならまだしも、転た寝をしなかった日も、深夜2時、3時になっても眠りに入れ込めないことが多い。「暑い」からではない。ここしばらく、夜はすっかり涼しくなった。涼しくなって、疲れがたまらなくなったからかもしれない。そういえば、と思い出すのは、ここ2週間ほど、休日の日中に草刈をしても、夜の疲れが随分違う。この夏の「暑さ」から解放されて、身体が余裕になっているのかもしれない。睡眠時間が短いと、翌日の業務中に眠くて仕方ないのに、それもない。もちろん状況が良くないことも理由にあるかもしれない。床に入って目を瞑っても、あれやこれや、と終わっていない仕事が次から次へと浮かんでくる。「あれもやってない」、「これもやってない」と思いながらも、床の中で考えていたたくさんのことが、いざ翌日会社に入ると消滅してしまっている。いっそ寝つきが悪いのなら、諦めて仕事でもしようか、などと思うが、瞑想の中で考えていることがらを記録できないものか、などと最近は考えたりする。今、こうして振り返っている間にも、「いけない、今日しなくては、と思って点けたPCを、そのままにして帰宅してしまった」ことに気づく。

 わたしたちの仕事は、無難なものを選んで、安全な道を石橋を叩いて渡るような仕事ではない。お客さんが何を望んでいるか、できれば基準など無視して、経験値だけで要望に応えたいと思うが、いざという時に説明責任が果たせないといけないといって、常識の範疇は逸脱しないようにしている。しかしながら、お客さんのニーズに合わないのに、国がこう言うから、あるいは県がこう言うから、といって、忠実にマニュアル通りにすれば、結果的にお客さんに負担が嵩む。天秤にかけて、どう負担を軽くして、求めるものに応えるか、そんなことばかり考えている。とりわけこの時代は、説明責任が重視されるから、お役所に関わっていると、なおさらお客さんの求めには不整合が生じる。お客さんとともに「うんうん」と頷きながらも、フリーなことはできないから、最低限の負担でやり過ごせるように考えることが多くなった。週明けの月曜日、早朝にあるお客さんから電話が入った。どこの団体にも作成を義務付けられたモノがあり、この作成には期限が定められている。お客さんのところでもトップが「早く対応しなければいけない」と言って、この秋に作業をするという。ところが現実的には人員も乏しく、電話をいただいた方もお困りのよう。時期的なことはもちろん、慌てて手を出すと手戻りが多く、焦らない方が良いと話すが、「わたしもそう思うけれど、トップが“やる”と言っているから仕方ない」と言われる。お客さんのところは、よそと違ってゼロからのスタートではないから焦ることはないと、以前に何度か説明したはずなのに、どうして焦っているのかと思い、「直接トップに話してみましょうか」と話していると、電話の向こうで「今、来ました、話してみて、もし話していただけるのなら、今から来てもらえますか」という。「時間が許されるならこれから行きます」と言って電話を切った。しばらくすると、「待っている」という連絡が入ったので、早速出向くことに。すでに、役員に「やる」と公言しているようで、説明するものの簡単には翻りそうもない。あれやこれや、と事例を少ない引き出しから引き出して説明して、ようやく納得いただいた。数日後の説明会用にと、この日予定していた仕事を放って説得に行った。言ったからには、サポートもしなければならない。金になる、ならない、の問題ではない。問題になって、何とかしろ、と言われたら責任を負うくらいの覚悟はいくらでもある。綺麗事だけで済むはずがないのだから。

 さて、綱渡りをした後、自分が世の中に感謝できるか、自信はないものの、尾畠さんの言葉はかなり重たかった。もちろんわたしには真似のできることではないが、できなくても、これまで生きて来られた人生に「感謝」の気持ちで振り返ることができるようにだけはしたい、そう思っている。


コメント    この記事についてブログを書く
« 地方から消えるもの | トップ | メモの隙間に、 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ひとから学ぶ」カテゴリの最新記事