8月例会において、畔草管理について報告する予定だ。先ごろ発行された「長野県民俗の会通信」302号へ、わたしが先ごろ刊行した本への書評をいただいた板橋春夫先生は、第1部の「写真で見る上伊那の民俗」の中で一番感動したのは、「畦草刈り」についての記事だったという。そして「昭和五十年代に圃場整備された地域の区画は大きい。しかも苗が植えられた後、雑草が生える畦がきれいに草刈りされる。著者はそれを美しいと見る。どの家も周りを気にしながら草刈りに精を出すが、それは見栄ではなく、強制でもなく、きれいにしたい、という気持ちが地域全体にある雰囲気なのである。」とその写真から捉えられた。その上で、「それに対して、評者が住む群馬県伊勢崎市の水田はどうだろうか。お恥ずかしい限りである。散歩に出て、近くの水田地帯を歩く。二十年前から歩いているが、近年は畦に雑草が多くなり気になっていた。なかには耕作放棄の場所もある。近所に住む農家の人に聞くと、二毛作なのだが、稲刈り後に麦を作らない家が出ているという。また、稲は水まわりなど手間が掛かるので、稲作をやめて麦一本化の農家もあるらしい。それで荒れていると説明してくれた。」という。これは致し方ないことで、高齢化した担い手組織がこの後どうなっていくか不透明な中、とりわけわたしのフィールド空間では、そう遠くないうちに耕作できなくなるのでは、という印象が拭えない。何より転作誘導されなくなったのに、水田が減少している。例えば西天竜である。10年ほど前には水田の青々した姿が当たり前だったが、今は転作されている姿が目立つ。もちろん転作なら良いが、何も作られていない水田も目に付くようになった。コメ作りが加速的に減っているのでは、と思うほどこの時期になって水田の姿が少ないのである。
そして草刈りである。例会におけるわたしの報告は、今ところ次のようなテーマを考えている。
①草刈の現在
②草刈の範囲
③刈った草をどうする
④この後の草刈
というようなもの。以前から日記で記しているように、本ブログにおいて閲覧の多い記事に「草刈をする範囲」がある。そこにも図を示しているが、わが家の場合、草刈をする範囲が、ふつうの人より広い。そうなった経緯もあり、それについても触れる予定だが、地域によって違いもあれば、農家の考え方によっても異なる。そしてその範囲は、あるいは暗黙の了解は変化しつつある。その上でこの後、どう変わっていくのか、といったところまで触れる予定である。
さて、今日も草を刈った。昨日の石拾いでふだんしない動きをしたせいで「腰が痛い」。それでも我が家では、1週間草刈を何もしないと、あちこち草の丈が伸びて、この先の炎天下での作業負担が嵩む。したがって少しでも草を刈っておかないと、間に合わなくなるというわけである。「草刈をする範囲」でも触れている上側の田んぼとの境界ライン。写真のとおりである。ふつうは法下が境界(ここでいう境界とは草刈境界のことを言う)であるが、わが家と上の田んぼとの境界は法下ではない。その上、写真でもわかるように、わが家では前週に法半分まで刈っておいて、草寄せをしてなかったのだが、上の田んぼの人が今日草を刈って、その草が我が家で刈った範囲に倒れ込んでいるのである。そもそも上の田んぼの人が刈る法面を我が家で刈っているのに、その刈り倒した草の上に、草が倒れ込んでいて、「これ誰が草を寄せるの?」状態になっているのである。果たして、この後動きがあるのか、ないのか……。
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