Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

これも「残念なこと」

2024-07-17 23:45:13 | ひとから学ぶ

 ある市でのこと。ここにも何度かここに至る経過のようなものを記したから、思うところがあるのだが、友人が代表を務める委員会の事務局(市のある部局)と長らく調整していた件が、結局友人の申し入れは全く聞き入れられず、上からの指示で思わぬ方向へ進むことになったと、友人から知らされた。わたしも何度となくその事務局に依頼されて会議に参加したこともあって、さらには友人と対策を練っただけに、「あの時間は何だったんだ」と思うばかり。もともとその部局は市長の意向もあって立ち上げられたもので、現在、県内でも他では表立った動きがない事業だけに、その業界では注目されていた。しかしながらその実態はまったく残念なもので、友人は上から見事なほどにその立場を虚仮にされて、わたし以上に残念な想いを募らせているに違いない。

 そもそもここでいう「上」とは、友人と同じ委嘱された身であり、委員長に選ばれただけの立場なのに「権限は自分にある」と、友人の願いをことごとく破棄した上に、会議の場で虚仮下ろすような言葉を友人に吐いたともいう。その「上」に限らず、わたしがかかわった何度かの会議で「この人たちはいったい…」と思うような言葉をいくつも耳にした。例えばここでいう「上」の人は、「立場をわきまえろ」と、会議の席でわたしに吐いた。会議の中には事務局と委嘱された委員、そして今になって察すると助言者にあたるわたし(友人から推薦で事務局から依頼されていて、その会議の中では同じ立場だと認識していた)だった。「上」は委員と助言者は同等ではないのだから「口を出すな」というような意図があったのだろう。それまでかかわっていた会議の中では同じ立場(もちろん委員とそうでないわたしは、委嘱上の違いがあることは認識していたが)だと思っていたら、たまたま会議に同席した「上」に「お前は違う」と明確に言われたと、その時に察知したわけである。もちろん納得できなかったので意見をしたところ、口を濁すようにごまかされたが、以後その会議において同じ立場ではないという捉え方がされて、事務局もわたしには意見を聞かなくなることに…。

 これは「上」からの言葉であったが、同じ会議でそれまでにも意外な言葉はいくつも耳にした。「地元に残った人たちは勉強が苦手だったから」と口にされた方は、地域で聞き取りをしても「これ以上何を聞くの?地元の人たちが語った内容はわたしでも知っていること」と口にした。また「聞き取りをしたが良い話者ではなかった。何も得るものがなかった」と口にされた方も…。そんな言葉にわたしは憤慨し、「それでも機会を得た話者から何を聞き出すか努力しなければいけない」と言ったが、そもそも聞き取りは「必要なのか?」という意識が彼らには漂っていた。「上」も含めて、いずれも教員OBである。民俗の世界では、このような経験がほぼ皆無だっただけに、「この人たちはいったい何者なのか」と思ったわけだが、考えてみればどんな学歴でも等しく見てくれるのは「民俗学」の世界だけなのかもしれない。先ごろ自費出版した際にも、わたしが「高卒だから」ということを「あとがき」に記したところ、大学の先生から次のような言葉をいただいた。

「あとがき」で御自身の立場を述べられておられますが、戦前に松本で行なわれた「話をきく会」の主催者三人は、全員研究・教育・文化財等を職業とした者ではありません。池上喜作は中卒で商人、弟の隆祐は大卒ですが代議士、胡桃沢勘内は小学校を出ただけの銀行員でした。ただただ民俗学が好きなだけだったのです。一般の方たちが加われるのが、この学問の価値であり、柳田もそれを願っていたと思います。

 残念ながら田舎では知識の高いのは教員、という認識が本人たちにいまもってあることを知った。そしてそのような人たちがある市の予算を使って残念なものを作ろうとしていることを、市長は知らないだろう。そもそも友人が市長に直接話そうとしたらお咎めをもらった。今、この市はだめかもしれない。


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