Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

残念なこと

2021-12-26 23:43:08 | つぶやき

 今の自分の意識が、昔からあったら「違っていた」、とよく思う。もちろん今から昔に戻ることはできないから、思っても無駄なことではあるが・・・。環境も異なるから違って当たり前だろうが、意識だけはいつでも持ちえたもの。道具があるかないかによっても、確かに「違う」面はある。例えばわたしはいまもってコンデジを持ち歩くが、今や当たり前のようにスマホでそのとき時を記録する。わたしの方が人間が古いから、そこに適応できていないが、コンデジを持っていなくてスマホを持っていたら、同じことをする。常に記録媒体を持ち合わせている世の中だから、誰もが自分を常に記録する手立てがある。これがなければ、メモでもしなければ忘れてしまう。

 カメラは昔からあったから、同じことをしていた人は昔からいた。したがって高い意識を持っていた人たちは、常になんでもないことを記録していたに違いない。カメラというモノにこだわるのではなく、手や足と同様に身体の一部だとその術を知っていたら、きっと常に持ち歩き、常に気になるものを捉えていただろう。ただし、わたしもそうだったように、かつてのフイルム時代にあっては、お金がかかって仕方なかっただろう。そのことを思うと、今はいつくらでもシャッターを押せる。このことは以前にも触れたが、被写体に対してこれでもかとシャッターを押す人が今は多い。昔はそんなことはできなかった。もちろんフイルム装填の時をどこで迎えるか、などとかつては悩んだものだ。ようはシャッターには限界点があった。言い換えればデジタルカメラの登場は、記録という意味では意識を変えさせた道具である。これがわたしの若いころからあったなら、明らかにわたしの記憶は膨らんだことだろう。それほど被写体に接する機会はふつうの人より多かった、と思う。

 その上での後悔かもしれない。今は現場に出ても、仕事以外の被写体に意識を置くようになった。それって「仕事していないのでは?」と言われそうだが、ほんの少しの時間をそこに意識を持っていくことは、それほど仕事に支障が出ることではないし、被写体という意味だけではなく、話者という捉え方でも違った世界が広がる。そもそも民俗とか郷土誌とか、そういうところには若いころから興味を常に持っていながら、「ここからは趣味」、「ここからは仕事」という割りきりを持ちすぎていたように思う。そもそも生活上の問題意識は、常につきまとうもの。したがって「これって何?」と思ったら「聞く」「話す」を意識していたら、もっと情報を得られただろう。もちろん若いころそれがまったくなかったわけではない。初めての出先だった飯山で「何これ」と思った野沢菜に醤油を浸るほどかける光景や、先輩が七味をふりかけのようにご飯に掛けながら「本当は一味がいいんだ」という言葉に驚愕して問題意識を持って調べたこともある。しかし、何でもないふだんに意識を持って捉えようとしたのは、ずっと後のことだった。以前にもどこかに記したが、同じところを20年、30年の後に訪れ、「あの時なぜ気がつかなかったのだろう」、あるいは「あの時なぜ聞かなかったのだろう」という後悔をすることが多い。今では聞けないことを、あのころなら「聞けた」だろう。せっかく地域に入ることが多く、そして人と接する機会もあり、加えて出先で様々なものを目にしてきたはずなのに、見過ごしてしまったわけである。

 調べる、あるいは意識を持つという考え方があのときあったなら、きっとわたしの情報量はとんでもなく違っていただろう。そしてそこに今のような道具があったなら、なお更である。ということは、今の若い人たちにはそれができるということなのだろう。が、いっぽうで情報制限が多くて、昔のようにいかない部分も多々あるのだろうが・・・。だからこそ残念なのである。


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