Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

あのおじさん、誰なんだろう

2017-02-06 23:58:02 | つぶやき

 先ごろ父や母の口から頻繁に聞いていた方が亡くなられた。頻繁とはいってもわたしは別家をしたから、実家から離れて以降はそれほど聞くこともなかった方だが、法事や結婚式といった冠婚葬祭では必ず顔を出されていて、それでいて必ずしも親しい位置には座らない、いってみればどういう関係かわたしにはよく解らない存在の方だった。過去にその方との関係を母に聞いたことはあったのかもしれないが、忘れてしまっていまだはっきりしない。いわゆる冠婚葬祭にそんな存在の方が顔を見せることはよくあるものの、やはりその関係がはっきりしないまま今に至っている方が数名おられる。

 父が亡くなった際に、甥や姪がそこに参集されている方たちがどういう関係か解らないといって、家系図を書き始めた。おじさんやおばさんといった方たちがいる席だから、かなり詳しいところまで書き込まれていったが、結局わたしにもよく解らなかったそうした存在の方たちがそこに書き加えられることはなかった。その際にあらためて確認しておけばよかったことなのに、そのままになっている。甥が書いた家系図を、確か写真に撮ったはずで、いつか家系図を整理しようと思っていたものの、そのままになっている。もはや母も特養にいるということもあって、今聞いておかないとよく解らないまま自分もあの世に逝ってしまうんだろう、そんなふうに思っている。

 そもそも実家は祖父の代に分家した家で、家系図といってもそれからまだ3代目。そもそも祖父が出た家を「本家」と呼んではいるものの、その本家から分家した家の数も少なく、「家」といってもそれほど古い時代からのものを引きずっていない。そしてその本家すら、今はもうよそに移り住んでいて、実家のあたりでも目立たない存在だ。昔は子どもの数が多かったから、おじさんおばさんにしてもはっきりしない方が初めはいた。たとえば母方の実家を訪れても、遠くに暮らしている方は正月や盆といっても顔を出すことがなくて、出したとしてもこちらと顔を会わせることがなくて、はっきり記憶に残らない存在の方がいた。母の兄弟は何人いたんだろう、と子どものころはよく解らないことが長く続いた。社会人になるころにようやくそれははっきりしたが、従兄弟といっても顔を見たこともない方がいる。近在に兄弟が暮らしている家系とはずいぶんその関係に差がある。ましてや祖父や祖母の時代に関係のあった方ともなると、その存在がさらに解らない、あるいははっきりしなくなる。故に冠婚葬祭の際に家系図でも引っ張り出して確認しておくのが一番なんだろうが、それを意図的にするほど用意は良くないもの。今は子どもが少ないにも限らず、兄弟、孫といった親しい人たちとそう顔を会わせるわけでもなく、そこに子どもが生まれたりしても、その子どもは当時のわたし以上に「このおじさん誰なんだろう」と思うことだろう。

 結局冒頭に触れたおじさんがどういう関係かは解らない。母がまだ頭がはっきりしているうちに聞いておこう、そう思うことはいろいろあるのだが、なかなか実践できないでいる。


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