Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

センブリを見つけはしたものの

2006-10-12 08:08:57 | 自然から学ぶ
 子どものころ煎じて飲んだ覚えが頻繁にあったセンブリを見つけた。妻が近くにある山の堤の土手にあるというので探しに行ったのだ。ちょうど花が咲いている時期だからなんとか探し出すことができた。たった2株しか見えなかったが、かろうじて小さな株が花をつけていた。咲き始めというところで、つぼみがいくつもついている。しかし、背丈にして20センチ弱と小さく、隣にあった株はもっと小さかった。かつてたんぼの土手に採りに行ったころの印象では、乾いた場所に咲くという印象があった。久しぶりに目にしたセンブリも堤の土手上だから乾燥している場所である。

 小林正明氏の『信州花ごよみ』には、山地の明るい林内や林縁に生えるとあり、高さ6~20センチだと記されている。わたしの印象ではもっと大きかったというのが記憶で、山地ではなくても田んぼの土手にあったという印象だ。しかし、30年以上前の話で、そのころどこにでも生育しているというほどのものではなかった。ただ、あるところには群生していた記憶である。

 子どもといえばお腹をこわすのが日常的だった。だから「お腹が痛いときにはセンブリを煎じて飲め」と祖父母によく言われたものだ。言われるままにセンブリを煎じることもあったが、そのまま茶碗に入れてお湯を注いで飲んだことも頻繁にあった。不思議とセンブリを飲むとお腹の痛みが引けていくのである。千度振り出しても苦いという意味で「千振り」というらしい。茶碗に入れたセンブリは捨てずに、しばらくそのまま飲んだ記憶もあるし、祖母はよくセンブリを煎じた湯をお茶代わりに飲んでいたようにも思う。

 『長野県史民俗編』からセンブリの利用法をうかがってみると、やはり下痢・腹痛の際の薬草として利用されている。ゲンノショウコといい勝負だ。もちろん両者をあげている場合もあるが、わたしにはゲンノショウコを利用した覚えはない。両者のほかにも、ドクダミ、タカトグサ、センニンソウなどがあげられている。ゲンノショウコやドクダミは今でも多いが、センブリはすっかりなくなってしまった。薬などなくてもセンブリさえあれば何にでも効くような気がしていただけに、とても見つけても貴重で薬草として利用できないのが残念でならない。

 撮影2006.10.7

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